私の分析によると、携挙は『ヨハネの黙示録』14章で起こる。これは真の終末-すなわち、[ハルマゲドン]-の前である。「シオンの子羊に144000人がついていく」という旨の記述が、その根拠である。12×12×1000とは“膨大な数”を示しており、額に書かれた神の名は、信仰に立っていることを表す。これが終末の教会としての信徒たちを表している。
携挙の根拠となる『テサロニケ人への手紙 第一』4章16-17節に基づけば、キリストの再臨まで信者が天に挙げられることはない。なおかつ「眠った人々より先にはならない」と記されていることから、この時には普遍的教会は神の国に到達(いわば時間的なワープ)している。
したがって、理解としては「再臨主が裁きとともに来られる」というよりは「神の裁きが行われるタイミングでキリストが“最後の招き(牧し)”に来られる」との理解が精確である。反キリストはこの時が近づけばそれほどに「偽り(666)」を行うけれども、人の姿をとられた初臨とは異なり、再臨主の到来は神のラッパ(第二位格の神としての権威に基づく超自然的な現象)を伴う。よって、そのとき地上に残っていた信徒(初臨のメシアを“信じる”者)は「再臨のメシア」を“目撃する”のである。
反キリストというのは、サタンによって「自らがメシアである」と洗脳されている者のことを言う。こういった[獣]は正常な理性を完全に失っている。だからして、ときに信徒である我々が「自分が反キリストに属しているのではないか」という不安に駆られるのは、自己省察ができているのだから、むしろ非常に健全な状態である。「主イエス」という言葉の意味を確認し告白できていれば、キリスト者であり救われている。
では、「主イエス」の意味が,①イエスは我々の罪のために死なれ,②墓に葬られ,③三日目に甦られた.つまり「第二位格の神(①+③)でありながら,贖い主(①+②)となるため,人の姿をとられた御子(②+③)であられる」ということを今一度、確認しよう。黙示預言の観点からこの福音を理解するときに重要なのは〈人々を十字架から遠ざける“反キリスト”は「絶対にこの三要素を語らない」こと〉である。“再臨のメシア”を自称する反キリストが、神の用意なさった唯一の救済方法である福音を語ることはあり得ない。福音に立つ者はキリストに従順な信徒であるに他ならない。父なる神が遣わし、聖霊によって語られ、キリストとして我々の罪を贖われた主イエスが天で輝き、その時を待っておられる。
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