1.命題証明集

多元的世界はあり得るか。

A:「人間が存在する空間は、一つであるか」

という問いを考えるに際しては、

B:「人間がどのように定義されるか」

について議論しなくてはならない。

というのも、

C:「我々が他者を認識するとき、疑いなく人間だと認識する」

ことが基本だけれども、

C2:「生物学的な種差が、人間というカテゴリーをつくった」

という前提が基本で、

C2*:「個の内面が別様である点からは、一つとして同種の個体は存しない」

と言えるからである。

つまり、命題Bが意味するところは、

B*:「人間とは、“識別する自我”を持った存在である」

ということである。

命題C群の流れから、命題B*が規定されれば、

B**:「人間は、他者を識別することで、人間たり得る」

ことになるから、

C2**:「同種の個体でないことを是認することが、人間であることを保証する」

のである。

ともすれば、命題Aは、

A2:「識別する自我を持ち得る空間は、一つであるか」

と言い換えることができる。

このことについて、命題B*を踏まえて考えると、

D:「我々は、“名辞”による識別(区別)行為が可能な限り人間である」

から、

A*:「人間が存在可能な空間は、一つであると断定することはできない」

であろう。

ただし、

D2:「名辞を与えるためには、言語が介在されなくてはならない」

からして、

A**:「人間が存在し得る世界には、言語がなくてはならない」

ということは確実である。

ただし、この観点に立ったとき、

E:「(仮説として想定される)多元的な空間に、具体的な名付けはできない」

ことが自明である。

というのも、

E2:「具体的な特徴が共有されなければ、識別は不可能である」

ためで、このことは、命題A**に対して、

F:「我々が言語化(識別)できない世界に、人間は到達し得ない」

ことを表している。

つまり、命題AおよびBで提起したことは、

F2:「人間が存在可能な空間は、言語化によって“直ちに”共有できなければおかしい」

ということを表しているのである。

このことは、

F2*:「人間が言語化できない世界では、人間としての存在が保証されない」

ことを意味する。

かくて、

F*:「“現に”人間である我々は、“人間のまま”到達可能な空間ならば必ず識別できる」

のであり、その意味において、

F**:「人間が名辞を与え、現に共有可能な空間に限り、その存在はあり得る」

のである。

よって、

∴「人間に対しての多元的な空間は、名辞を与えられる限りには存在の可能性がある」

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