A:「人間が確実に把持し得ることは、知覚と思考である」
たとえば、
A2:「形相が存在するか否かは確かでない」
が、
A2*:「形相が知覚の対象である」
ことは明らかであり、
逆に、
A3:「知覚がなければ、形相は存在し得ない」
あるいは、
A3*:「知覚がなければ、形相が存在しても意味がない」
のである。
そして、
B:「知覚は思考の対象である」
ことは明らかで、
命題A3*の導出過程と同様の流れで、
B*:「思考しなければ、知覚が存在しても意味がない」
と言える。
つまり、
C:「形相は知覚の対象であり、知覚は思考の対象である」
といえ、
D:「被対象は、存在の意義を付与者に依存する」
からして、
その存在比重は、
C*:「思考が知覚より重く、知覚が形相より重い」
(C*※:形相→知覚→思考、形相<知覚<思考)
ここで、
命題C*を言い換え(命題A3*およびB*をまとめ)れば、
C**:「思考しなければ、知覚に意味はなく、形相は存在しないのと同義である」
と述べることができよう。
ここで、
E1:「形相を持たずとも、思考できるものは存在する」
ということはあり得る。
(E※:空気に顕著であろう)
E2:「知覚できずとも、思考できるものは存在する」
(E2※:空想することは可能である)
しかし、
E3:「形相を持たずとも知覚できる、というものは存在しない」
よって、
F:「知覚は必ず形相に依拠する」
が、
F*:「思考は、形相と知覚に依拠するとは限らない」
であろう。
このことは、
命題C*およびDが、
F**:「付与者は、被対象より存在比重が重く、より独立性が担保される」
ことを表すのを明らかにしている。
ということは、
逆に、
F***:「独立性が高いものほど、存在比重が重い」
ということになり、
G:「存在比重が重いとは、その存在の確かさに等しい」
ゆえ、
F****:「独立性が高いものほど、確実に存在する」
と言える。
さて、
H:「神とは、あらゆる権限を持ち、最も独立性が高い存在者である」
そして、
H2:「最も強い“付与者”である」
このことから、
∴「神が存在することは、最も確実なことである」