A:「人間は、“言語的な思考”をする存在である」
ここで、
B:「言語的な思考(活動)は、“名付け”によって始まる」
と言うことができよう。
よって、
A*:「人間を人間たらしめるのは、名付けである」
という命題が導かれる。
ここで、
B2:「名付けとは、概念を区別することである」
このことが意味するのは、
B2*:「名付けをしなければ、概念は区別されない」
ことであり、
それはつまり、
B2**:「名前がなければ、概念が“定められない”」
ことである。
これは、
命題Aが真であることから、
次のことを導出する。
すなわち、
A**:「概念に名前があることが、人間を人間たらしめる」
ということである。
ここで、
B*:「名付けが開始されたことが、人間存在の始まりである」
といえるが、
命題A*より、
B**:「人間は、名付けによって初めてそれとなる」
のであるから、
B***:「“人間”が無から、“人間”になるのは不可能である」
これは、命題B2**によって既に明らかである。
よって、
C:「人間に、“人間”という名を与えた存在者がいる」
ということは自明である。
そしてそれは、命題B群から、
C*:「概念の外にある、単なる“始動因”でなく、“人格的”存在者がいる」こと
を明らかにしている。
ゆえに、
∴「神は存在する」