A:「現象は存在し得るか」
この問いについては、
A2:「現象とは、それによって影響を被るときに存在する」
と言える。
この回答に際しては、
B:「影響を被るとは、何であるか」
という新たな問いが立てられるが、
それは、
B2:「災害による負傷や寒暖の変化」
といった身体的“影響”、
または、
B3:「災厄による恐怖や季節の移ろいによる感動」
という感情的“影響”
に集約されるであろう。
ここで、命題A2が主張されるならば、
C:「現象は、それ自体には意味がなく、被る結果(影響)に意味を持つ」
ことが導出される。
これら一連の論述は、
B*:「確かに現象そのものは意味を持つけれども、それは人間の存在ありきである」
という考えに基づく。
このことは、
B**:「個々の現象に名付けることで概念化するのは、人間(知的な存在)の手による」
という観点から説明できるであろう。
さて、その意味においては、
命題B*を再掲すると、
D:「現象が存在する(影響としての意味を持つ)のは、“人間がいる限りにおいて”である」
と言えよう。
ここで、
E:「人間(個人)の誕生と死は、明らかに“現象”である」
のと同時に、
E2:「人間(個人)の誕生と死は、明らかに“意味”を持つ」
であろう。
しかしながら、
F:「誕生と死は、被る結果に意味を持つ現象でありながら、人間はそれを感じ得ない」
ことに異論の余地はないと思われる。
命題E群の内容を加味して正確に言い換えるならば、
F*:「誕生と死は、それを被る人間に対してでなく、観測する者に意味(影響)を持つ」
のである。
ここで、
G:「誕生と死は、個人に対して、始点と終点としての意味がある」
のは確かだけれども、
G2:「誕生と死は、個人に影響“そのもの”を及ぼさない」
ゆえに、“現象”が命題Cのように定義されるならば、
F**:「誕生と死は、個人においては存在しない」
ということになる。
このことが意味するのは、
H:「人間は、存在しない」
ということでなく、むしろ、
H*:「人間は、永劫の存在である」
ことである。
つまり、
I:「人間は意味を見出すことで、現象を生じさせる」
のであるから、
I2:「我々が自身の誕生を現象にするのは、存在に意味を見出すことで初めて可能になる」
のと同時に、
I3:「我々が自身の死を現象にするのは、死を観測することで可能になる」
のである。
よって、
H**:「誕生と死は、人間が永劫に意味を与え続けることを証している」
のである。
このことから、
J:「人間は、明らかに霊的な性質を持っている」
と言えよう。
さらに、
命題Gの通り、
G*:「誕生には、始点としての意味がある」
はずであるが、命題B**より、
G**:「誕生は、そのこと自体によって知的(意味を見出す)存在が影響を被る必要がある」
ために、命題B3の後者およびF*を踏まえると、
K:「原初には、人間の誕生を観測しつつ、感情的影響を被る存在者がいなければならない」
以上のことから、
∴「人間は、霊的な性質を持ち、創造された存在である」