A:「神は、矛盾を解決できるだろうか」
まず、この主張については、
B:「神を試みてはならない」
ということを明記した上で考えていくことにする。
命題Aの言うところは、
C:「“絶対に貫く矛と、絶対に通らない盾”を神は作ることができるか」
ということであろう。
ここでの要点は、
D:「絶対とは唯一性に基づく」
ことである。
そもそも、
C2:「矛と盾に対して、“絶対性”の可能性を考える時点で、神の権能を認めている」
なぜなら、
C2*:「絶対性を持つ何かの“創造”は、絶対者を前提にしなくては成立しない」
からである。
つまり、
A*:「“神が矛盾を解決できるか”の議論は、神の絶対性を前提としなければ不可能である」
のだ。
命題Dが言える理由は、
D*:「絶対的な力は、その行使が最も正しく為されなければならない」
ことに根差す。
それゆえ、
命題C2*のような順序によってしか、矛と盾の議論はできず、
同時に、そのような物体は論理の構造上、存在できない。
ここで、
E:「全能のパラドクス」
(E※:神は自身を全能ではない者にできるか。出来ても出来ずとも、全能性は否定される)
というものがある。
しかし、
これは誤りである。
この考えは、
F:「神は“全知”であり、全能である」
ことを忘れているのである。
神が全知であることを認めなければ、命題Eのような話題をする必要はなく、
G:「神は悪を為すことができない」
という主張で事足りる。
F*:「神は、“全知であり、全能であり、最高善である”」
という大前提は、少なくとも抑えなければ、議論の土俵に立てない。
つまるところ、命題Eが誤りなのは、
命題D*に対して命題Fが対応することで説明できる。
ようするに、
D**:「“絶対的なもの”は唯一で、最善性を有しており、善は知によって為される」
ということである。
これは、命題F*の構造を説明したものであり、
F**:「“絶対性”はその定義上、“唯一、最善のもの”であり、それは知を伴う」
ということである。
H:「知力は、常に能力に先行する」
ことは自明で、
H*:「能力は、知力に支えなければ機能し得ない」
であろう。
すべてを司る神については、
I:「全能であることは、全知に支えられている」
のであり、
I2:「神は、最も義しい判断を為すために、自身が全能で在り続ける必要を知っている」
のであって、
I2*:「神は全能だからこそ(必ず全知が先行し)、自身の全能性を消すことはしない」
ということである。
しかるに、命題Aについては、
A2:「矛盾の解決は、神が“唯一の絶対”者であることを認めることで成される」
と言えよう。
ゆえに
∴「絶対とは唯一であり、すべてを知る神である」