1.命題証明集

言語と世界。

A:「存在せしめるものには、概念としての名辞を与えることが可能である」

というのも、

A*:「存在というのは、名付けという、“概念の規定”によって成立する」

からである。

このことは、

A2:「存在しないものに名前を与えることは不可能である」

ことに明らかであろう。

このことから、

B:「言語のない世界は想定し得ない」

ということになる。

しかしながら、

B2:「言語を用いるところの人間が、まだ存在していなかった時代がある」

という考え方がある。

それは

B2*:「言語のない世界があった」

ことを意味していることに他ならない。

ここで考えねばならないのは、命題A群で表されることの意味である。

すなわち、

C:「我々が世界という概念を扱うとき、それは“扱える点”に意味がある」

ということである。

逆を言えば、

C*:「世界という言葉は、指し示される場合にしか意味がない」

のである。

というのも、この議論の発露である命題AおよびA*が示すことは、

そもそもが、

A**:「人間が存在する上で意味のあることかどうか」

という前提に基づく議論だからである。

この観点に立つと、命題B2*の導出過程は、

D:「その真偽に意味がないことである」

と言える。

つまり、

E:「人間が存在する以前と人間が滅亡した後のことの想定」

は、“為しても仕方がないこと”である。

しかし、

E*:「人間は、自分たちの存在について、その前後のことを議論できる」

ことについては意味がある。

したがって、命題B2*は、

B2**:「言語のない世界について、言語的行為(思考)によって扱うこと自体は可能である」

という“事実”を表しているのである。

しかし、

F:「言語のない世界は、名付けによる概念定義ができない」

一方、

それでも命題B2**が成立するのは、

G:「“人間存在に関わりつつも”知り得ない世界が存在する」

ことを裏付けていることに他ならない。

つまり、

D2:「人間が言語的に扱おうと試みる事象は、人間存在に関わることである」

ゆえ、

D2*:「人間が存在しない世界の想定は、そのことが人間に関わる」

ことであり、

それは、

D2**:「人間は、物質的存在が終わった後にも何某かの言語的活動をする」

ことを表している。

よって、

∴「人間の存在は、その物質的存在の限りではない」

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