1.序論
a)ある寓話
→聖書の存在と被造世界について色々と考えていると、分かりやすい“たとえ”を思いついた。寓話には限界があることを断った上で、紹介させていただく。
b)整った部屋
→我々は、一人ひとりが各々の部屋にいる。そこは、とても整っていて簡潔である。目を引くのは、“読み切れないほどの”本が収まっている本棚。そこからは自由に取ることができる。ただし、時間が限られているので、何を読むかについては選ぶ必要がある。この部屋にいる一人の人物に注目してみよう。
2.本論
c)世界に関する本
→彼は本棚を見渡す。厚さもさまざまだが、表紙が面白そうで薄いものがよかろう。読みやすいものがよい。なるほど、この本は面白い。この世界にある多くの物が説明されている。なるほど、こちらの本は世界の歴史か。
d)表紙
→ところで、本棚の中央にあったこの薄い本が気になるな…。なぜかって、表紙に「読んではいけない」と書いてあるからだ。どうやら、それを書いたのは、この部屋を管理している人のようだ。それもそうだろう。管理者にしか書けないだろうから。おや、何やら文言に続きがある。「この部屋の他のどの本も読んでいいが、この本だけはいけない」。いや、そう言われるとよけいに読みたくなる。「読んだって平気だろう」…。
e)手に取った本
→なるほど、この本によると「時を待たずして部屋の外に出る方法がある」らしい。他の本も気になるが、外のほうが気になる。それに、この本のちょうど隣にあった“あの分厚い本”なんて、読んでいられない。…ふむふむ、この方法で出られるのだな。
f)部屋の外
→そんな…。こんな世界が広がっていたなんて。あぁ、最初に読んだ世界の本たちに書いてあった“物”だ。魅惑的なものに溢れている。もっとこの世界を見よう。「この世界から直接知ればいい」。あの部屋にとどまっている必要なんてなかったのだ。…こうして彼は、しばらく戻ってこなかった。
g)疲弊
→しかし、長き時間ののち、なんとも幸運にも彼は戻って来られた。「“外の世界に獣がいるなんて”知らなかった。そうか、だから用意された時間の限りは、他の本を読んで学ばなければいけなかったのか…」。
h)満たされない
→いや、多くの本を読んだ。しかし、また獣に出会った時にどうしたらいいか分からない。なんでかって、そもそもの原因になった「どうして自分があの注意書きを無視したか」という根本が解らないからだ。
i)分厚い本
→そうして彼は、躊躇っていた例の“中央にある分厚い本”についに手を伸ばした。獣と出会ったときに助けてくれた人達が勧めてくれたものだ。彼らの厚意は有り難かったが、あの分厚い本を「読んでみなさい」と言われると、逆に気負ってしまうところがあったのだ…。
j)眼鏡
→そこには、全体を通して読まなければ決して分からないことが書いてあった。外の世界に出るまでに多くの本から学ばなければいけないこと、外に出るのを急いではいけないこと、外から逐一戻っては読むべきこと…。そして、一番衝撃的なのは「外に出る前には、この本の後ろに付属している“眼鏡をかけて”出て行くこと」であった。本が分厚かったのは、この眼鏡のためのスペースでもあったのだ。そして「よほど運がよくなければ、この眼鏡なしには、外に出たまま獣に襲われ、その傷口から穢れが入り、自らも獣になってしまう…」。
3.結論
k)物語の結び
→お気づきの読者もいるかと思うが、これは『創世記』の冒頭にある“善悪の樹”についての記述をモチーフに被造世界にある聖書の意味を説いたものである。以下、たとえの対応するもの。※とある部屋は、人生において人が学ぶ姿勢を表す。世界に関する本とは、哲学書に始まる教科書的な書物。読んではいけない本とは、偽物のキョウテン。外の世界とは、被造世界における社会。獣とは、物質主義というこの世的考えに染まりきってしまった貪る者(愛を失ってしまった者)。助けてくれたのは、信徒。中央の分厚い本とは、聖書。部屋の管理人とは、神である。時を待たずして外に出た理由は、自分を判断基準とする罪にあった。そして、彼は信仰という眼鏡を忘れてはいけなかったのだ(本が分厚かった理由)。