4.終始と三項

陰謀論。( 参考→Iヨハ5:19,IIサム11:15,エス:)

§α:新型コロナウィルスが流行ってから“陰謀論”という言葉をやたらと耳にする。米大統領選でもみられたものだ。スマートフォンのSIMカードやメディアしかり、何かしらの人為的操作はあるだろうから、言い始めたらキリがないだろう。そもそも、社会という“機械的システム”に乗っかっているわけだから、そこの中枢に誰かしらがいることに疑問はない。

§A:社会システムの話が出たが、機械的な歯車を人間が動かしているわけだから、そこに何かしらのガタがきてしまうのは当然あり得る。私などは、ほぼ無学の状態から中学生にして“ブラック予備校”に入って精神を病み、その後8年にわたる闘病を強いられ、雇用されることを「ほぼ不可能」と割り切った身である。だからして、社会構造の中に“宗教システム”が組み込まれていることも分からなくない。事実、足元を掬われてカルトに洗脳されかけたこともある。

§B:陰謀論というのは、いわば“社会・宗教システムのハイブリット”である。それは“陰謀論という利己的な煽り”を盲信させることで、新しい社会を造ろうとするものである。これは“革命”の思想運動に近いのかもしれない。しかし、陰謀をそれと語る者がそのハイブリットシステムを動かして民衆を扇動しているのだから、それもまた一つの“陰謀”でありキリがないであろう。

§C:結局のところ、物事は何かしらの意味で“広義の陰謀”である。どうしてかと言うと「誰かが何かの目的で秘密裏に動く」というのは、人間が行動するときに頭で起こっていることに近いからである。だから、利得のために動いていたら、それは“はかりごと”である。だから「世の中にどんな黒幕がいるか」と気にするよりも「自分が悪役になっていないか」あるいは「“都合のいい人”になっていないか」と吟味したがよかろう。

§Ω:自分がコントロールされないためには、意思を行使することである。社会において何かしらの“替えが効く歯車”であろう我々は、神から見たら“欠くことのできぬピース”である。世の中に冷え切っても、あなたを見ておられる方がいることを知ったほうがよい。皮肉を込めて、社会に内包された“宗教システム”なんて言葉を出したが「真理は人間世界の外にある」からして当然、超越的なものである。聖書の教えは陰謀か。その裏側、いや“外”にいるのが神であるならば、私は積極的に乗ろう。私が“盲信的な操り人形”の信徒だとしたら、理性的な文章が書けるだろうか。

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