A:「悪は本質的には、その概念のみによって存立可能である」
このことは、
B:「被造世界においては、二項対立という原理が支配的である」
という前提に基づく。
命題AおよびBによって示されることはすなわち、
C:「霊的世界において、善と悪は混合しないはずである」
ということである。
このことは、
D:「天国と地獄が存在する」
場合に、
D*:「これらの世界は、その性質が一元的でなければおかしい」
ことに根差すものである。
というのも、
D2:「天国と地獄という概念自体が、二項対立の影響を受けている」
からである。
ここで、
命題Bで見た通り、
B*:「二項対立というのは、被造世界の原理である」
から、
B**:「被造世界から天国と地獄を“観測”することは可能である」
が、
C*:「霊的世界は、被造世界からは、あくまで観測対象である」
ゆえに、
E:「人間は、霊的世界においては、その存在の証明しかできない」
のである。
それは
E2:「太陽は、観測は可能でも、着地して観察することは不可能である」
ことに似ている。
つまり、
命題D*が示すのは、
D**:「被造世界の原理と霊的世界の原理についての断絶である」
ことだ。
しかし、
命題Aについて別の見方をするならば、
A2:「善は本質的には、その概念のみによって存立可能である」
と言えるだろうか。
というのは、
A2*:「“善というのは悪ありき”である」
つまり、
A2**:「悪を知らずして、善は知り得ない」
のではないか。
このことにはまさに、
命題C*が明かしていることである。
すなわち、
C**:「霊的世界の“観測者”は、善悪の概念を“既に”知っている」
ということである。
ここで、
命題BおよびDが表すのは、
F:「被造世界で求められるのは、“選択”である」
ことだ。
つまり、
F*:「善悪の選択肢のうち、それを知り、一方を選択した者が行き着くのが霊的世界である」
のだ。
命題Eの通り、霊的世界の内部については語り得ないが、
F**:「被造世界が霊的世界の成立の土台である」
という観測地点に立てば、
その外観を捉えることは可能である。
以上のことから、確かなことは、
∴「霊的世界は、被造世界とは別の原理がはたらく」