A:「名辞が存在しないものは、言い表すことができない」
そして、
B:「言い表すことによって、その存在は意味を持つ」
なぜなら、
C:「人間にとって、言語は思考の基盤である」
からして、
C2:「言語で表せないものは思考できない」
ことから、
D:「人間は、思考ができる存在として規定される」
ゆえに、
D*:「人間にとって意味をもつものは、すべて名辞を持つのである」
たとえば、
E:「何かしらの空想でさえ、“イメージ”という名辞を与えることができる」
であろう。
このことから推察されることがある。
それは、
E2:「名辞の規定範囲は、存在に影響を及ぼす」
ということである。
これは、
たとえば、
F1:「ペガサスと、キメラは、どちらも空想上の存在である」
が、
F1*:「同じ空想上の存在でも、各人についてのイメージ(認識)像の“幅”に差がある」
ことが言える。
(F1*※:ペガサスは、羽の生えた馬。一方で、キメラはどうであろうか)
また、
F2:「コシヒカリとあきたこまちは、どちらも米である」
が、
F2*:「米という同じ概念に属していても、その種差は、思考に関与する」
(F2*※:食べた品種が同じであっても、パッケージがすり替わったら変化があるだろう)
つまりは、
E2*:「名辞は、概念を表しつつも、その規定範囲によって、思考に影響を及ぼす」
と言える。
このことが重要であることは、
命題Dのように人間が規定される以上、明らかである。
このように、
G:「名辞は、概念定義のツールであり、“幅”を持つ」
それゆえ、
G*:「名辞が固有のものに近づくほど、思考における関与は明確になる」
つまり、
G**:「名辞が細かくなるほど、各人の思考における存在の度合いが増す」
ここで、
H:「名辞を細かく定めるとは、より正確に定義づけを為す」
ことであることは自明である。
逆に、
H2:「正確な定義づけを為せるものしか、名辞を細かく定めることはできない」
さて、
H2*:「細かく定める、という行為の行き着く先は、限りなく、一なる固有性である」
ことに疑いの余地はない。
ここで、
I:「“神”は、一なる固有性そのものである」
ということは、
I*:「正確な定義づけが可能である」
はずである。
そして、命題I*と命題Iの示すことは同じである。
つまり、
I**:「神は、“一者”として定義され、そのことが名辞そのものである」
ということだ。
すなわち、一連の導出過程から
J:「何よりも一に近づく名辞づけができるものは、正確な存在に限りなく近い」
はずである。
ゆえに、
∴「唯一なる神が存在することは、限りなく真である」