1.命題証明集

思考と実在。

A:「人間が考え得る概念は、すべて存在していることが確かである」

というのは、

たとえば、

B:「幻獣のような空想上の存在であっても、空想という思考の内に存在する」

からである。

つまり、

B*:「“空想上の~”という言葉に続く名辞は、存在を表すものである」

のだ。

ここで、我々は、

A2:「存在と実在を区別しなくてはならない」

だろう。

つまりは、

A2*:「それが、思考の“内に”在る(存在)のか、思考の“外に”在る(実在)のか」

ということの規定である。

しかし、

ここで、

A3:「思考の内外どちらにあるのが、“真に在る”ことなのか」

を決定することは可能だろうか。

それは、

命題A2による区別の意義を考えることと同義であり、それは、

C:「人間とは何たるか」

を明らかにする上で意味を持つのである。

なぜなら、

C*:「“存在”と“実在”を“考える”ことは、思考の内に在るから」

である。

命題A2*で示されたように、

A2**:「思考の内にのみ在るものは、実在でなく存在である」

という観点に立った時、

命題Cのような問いを立てることが可能な時点で、

D:「人間とは、思考する者である」

ことが言え、

命題A3のようなことを考えても、

A3*:「思考の外側に人間が実在する保証はない」

のである。

よって、命題Cを追ったことで、

D2:「“在る”ことが確実に“観測”できるのは、思考そのものを形成する、言語のみである」

ことが考えられ、

しかるに、我々が、

E:「“実在”を規定することは、“思考の外に在るとはどういう状態なのか”への解」

を求めることである。

このことは、命題C*より、

E2:「思考の外に“のみ”在ることは不可能である」

ということに行き着くであろう。

つまり、命題A2*は更新され、

F:「実在とは、思考の内外“どちらにも”在るものである」

と言える。

では、命題Eの示すことは何か。

これは、

E*:「“思考の外に在る”とは“思考の範疇を超えること”を指していることに他ならない」

のであり、

これを命題Fと考え合わせると、

F*:「人間が“正確に”思考できないものこそが、実在しているものである」

ことがわかり、

F2:「思考可能で(存在が規定され)、かつ、把握しきれないもの」

F2*:「“考える”ことができれば、“存在”の条件を満たし、実在する可能性がある」

であろう。

そして、

命題E**に合致するものは、まさに“霊的なそれ”である。

よって、

∴「霊的なもの(こそ)は、実在する」

と言えよう。

-1.命題証明集
-