Age18

ヘラクレス

「悪霊の霊的な阻み」

翌朝、起きると、「洗脳が解けてから家に籠もりきりであることが、よく作用していない」と考えた父が「今日は、美術館に行ってみないか?」と誘いました。家族がどのような選択をしてくれたとしても、壊滅的なあの精神状態では適切な解などありはしませんでした。ただ、この状況で“古代ギリシャ展”に赴いたことは、偶然の選択ではなかったかもしれません。

昼前に向かうと決まると、自宅のテレビ画面に、アニメ映画が映っていました。高校生の男女数人が楽しそうに青春の夏を過ごしている様子に、数時間後の自分を重ねました。ありもしない空想に、浮かれていたのです。

装飾品の類に興味のない私でしたが、この時は、木製の板に印が書かれた勝利祈願守りの紐に、自分で五円玉を通したものを首からかけ、小学校の時に貰って以来しまっていたトルコ土産のブレスレットをしていました。身に何かをつけていると、力が漲ってくる気がしたのです。その力は、発揮されるべきではない危険なものであり、これからの展覧会に行くことにより、さらに膨張することとなります。

朝から、かのキャプテンに電話します。「昨日、仮想空間で会ったよね。これから、あの子と京都で落ち合うでしょ?」と妄言を吐く私。躁状態になって間もない時に、それまでの感謝をメールで伝えていたので、私のメッセージを喜んで受け取った旨を教えてくれたものの、当然、次第に困惑する盟友。「ちょっとよく分からないけど、用事あるから、あとでまた連絡するわ」と、電話が切れます。「よし、出発だ!」と息巻くと、準備を済ませます。

道中、ずっとハイになっている私。あまりに振り切っていたので、父は、呆れ顔というよりは、洗脳後の落胆がなさそうな私の様子に、嬉しげでさえありました。

美術館のある駅に着くと、ずいぶん長く来ていなかった場所にワクワクしました。

Y美術館の中に入りますと、“周りの人が自分を見ている”気がしました。それを察知すると、「あぁ、そうか。この人たちみんな、仮想空間で会った人たちか」と病的な勘違いをする私。

会場は、夏休みということもあり、小さな子供も来ていました。その様子をみて、「あの子とは、どこで落ち合うんだろう」と思いを巡らせます。

落ち着かずに展示場を回ると、これが遠い昔に作られたとは思えない、精緻で美しい彫刻がズラリと並びます。

やがてアフロディーテの像を目にした私は、その美しさに、かの少女を重ねました。そうすると、「これまでの人生の要所で出会った人々は、古代ギリシャの人々が生まれ変わった存在だ」という思考が生じ、次いで、「かつての俺が、この会場に展示されているに違いない」と妄想しました。

そうして間も無く、私の目の前に、筋骨隆々で猛々しく美しい立像が姿を現しました。その存在感に圧倒された私は、説明のカードに目をやります。そこには、“十二の難行を果たしたギリシャ神話最大の英雄ヘラクレス”とあります。その時でした。私は、「これだ…これがかつての俺の姿…そうか、俺はヘラクレスだったんだ」と、この半神半人の存在に自らを重ねたのです。

「これまで降りかかった多くの災難は、世界を守るためのものだった」と、誰もが知る英雄に自身を重ねることで、これまでの闘いが自分の理解において神話規模で全肯定され、その結果、私の内で、躁とは違った何かが躍動し始めました。

英雄は太古から称賛の的ですから、自分の苦難と英雄の難行を同一視した私は、いわばその権威を勝手に拝借したわけです。

「自分自身のかつての姿を、この場所に見つけた」と確信したわけですから、そこからの観覧は、いっそう、他の展示物が私に関係しているように思えました。

展示されたヘラクレスの装飾品を見ては、「明日、ここに受け取りに来よう。俺のものなんだから」と考えます。ポセイドンの像を見れば、「これは、お父さんのかつての姿だ」と思ってしまう具合に。

こうして、展示が最後に差し掛かってくると、「あの子、まだ来ないなぁ」思う私。「密教展もやってるから、それも観ようか」と言う父に、「俺は、もう少し観たいから、後で落ち合おう」と返します。

そこから順路を逆走して、展示場に、居るはずもない彼女の姿を探します。探せども、来ていません。当然です。「あぁ、駅にいるのかな。困った子だなぁ。そこがまたいいんだけど」と、理解し難い思考をして、出口で「すみません、中で待ち合わせた連れが来ないので、駅まで出させてください」と頼みます。内心では「ヘラクレスの頼みだ、聞いてくれ。ギリシャの民よ」と思っている、狂気に憑かれた私は、駅に向かいます。

改札の前にいても、あの子も、同代のキャプテンも姿を現しません。「落ち合う約束だったじゃん。困ったなぁ」と、都内でも最大級の駅構内を回りますが、出会えません。「そうか、京都から来る電車のとこで待っていなきゃじゃないか。そっかそっか」と思い立ち、駅員に、京都から連絡する電車を聞き、そのホームで待ちます。

電車を2本見送っても来なかったので、「うまく落ち合えなかったな。もう、会場にいるだろうな」と、展示場に戻ります。

「あ、着信があったかもしれない」と携帯をみると、父から何度も連絡が来ています。

出口のそばで合流すると、さすがの父も怒っています。しかし、そのような状況でさえ、叱られる様子を見ている係員の視線を感じ、「ヘラクレスとポセイドンが喧嘩してるんだから、そりゃ楽しいよね」と、珍しい父の立腹を大して気にもしません。「いや、友達も来てるらしくて、合流する流れになったんだけど、会える気配がなくて」と妄言を言う私。「もうちょっと、うまくやってくれ。お父さん、ずいぶん待ってたんだぞ。密教展は時間的に観られないから、今日は帰ろう」。

そこから、「密教展も一緒に観たかったなぁ」と父。代わりに、最寄りまでの電車が通っている駅まで、少し歩いてみることになりました。思えば、美術館に来るというのは、小学校では毎週の出来事でしたが、中学以降は、ほとんどありませんでした。その慣習をこのとき踏襲したのは、不思議なことではありませんでしたが、この後の出来事を鑑みると、幼い頃から“美術館をめぐるという慣習があったこと”自体に、どうしても意味を感じてしまいます。

行きの道中よりも遥かに多くの人、というよりも、道行くすべての人が、私を見ている気がしました。「うわぁ、ヘラクレスだ、すごい」と。

ありもしない称賛を勝手に受けた気になって自己陶酔していると、父が、「お腹空いたんじゃない?あのデパートで昼食を取ろう」と言いました。

食堂に着くと、「そっかぁ。英雄なんだから、もう、料金も払わなくていいんだ」と舞い上がる私。「食べたいものをたらふく頼むぞ」とばかり、メニューに目を配っていると、キャプテンから電話がありました。

「おぉ、探したんだけど、落ち合えなかったね」と言う私に彼は、「今日は別件があるから、夜にかけ直す」と、困惑気味に返しました。

周りに大変な迷惑をかけているのを知りもせず、博物館土産を楽しげに開封する私。これだって、散々待たされた父が、その間に購入したものだというのに。

当然ながら、食事を終えたら、父が会計をしますが、勝利を司る“ニケの肖像”レプリカに夢中で気づかぬ私。ますます加速する興奮のまま、家に帰りました。

 

~コラム③~

「知は力、聡さは剣なり」

「伝説よりも誰かの記憶に」

「平凡なきところに非凡なし」

「孵化しない金の卵はただの卵」

「失敗を笑っても自分を嗤わない」

「生きる指針とは、信仰と希望と愛」

「強さとは、己が弱さと戦えることだ」

「番狂わせはかませ犬にしか起こせない」

「欲に屈することは、サタンへ平伏すこと」

「開き直っても、人徳を締め出してはならぬ」

「人生については、登ることが絶景なのである」

「間違いなく言えるのは、人は過つということだ」

「言い返して悪魔になるくらいなら、馬鹿でもいい」

「自分から認められることは、実に得難い評価である」

「駄目な男ではあるが、浮ついた愛を持ったことはない」

「人を大切にできている時には、それを意識しないものだ」

「永遠に死することを畏れ、今日という日に生くことを学ぶ」

「ときに生きることは苦しいかもしれないが、絶望はない」

「言葉にできない美しさより、讃えられる人格がほしい」

「共感はいらないから、実感のできる生き方がしたい」

「醜くはなっても、本当の美を見ぬけなくはなるな」

「人はいずれ死ぬが、死は人の愛を支配できない」

「輝く理想もいいが、鈍い現実が生を覚えさす」

「世界には人間と、人のふりをした獣がいる」

「敗北を認める以上に価値ある勝利はない」

「人を笑うな。人間である誇りを失うな」

「悪がこわいのは、生きているからだ」

「死に向かうは、知覚と絶望と貪り」

「ポーンの歩幅は、キングに同じ」

「切らないエースは、ただの札」

「要らぬ説教“かくあるべし”」

「今日の雨こそ明日を育む」

「神知り者の負け知らず」

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