Age18

幻影

「隔離へ向かってゆく」

奴らから「今度、教会に行こう」と誘われていた私。もし、その通りになっていたら、いよいよ取り込まれていたかもしれません。

サタンが云々と語っていた奴ら自身が、その使い魔だったと知った衝撃があまりに大きかったのでしょう。恐怖が一周回って、私は逆に、高揚しました。

「なぁんだよコイツら。馬鹿じゃねぇの。よくもまぁデタラメをほざけたもんだ」。私は、自分が騙されていたと分かると、一転、奴らを罵り始めました。

無自覚に躁状態となることで、恐怖を抑えていた私の精神は、極めて不安定な状態でした。

夜には、脱カルトの専門家であるS女子大学の教授にメールで相談してくれた父と、私の文体に寄せつつ簡潔に、彼らへ断交の意思を伝えました。

部活を終え帰宅した弟は、両親から私に起こった事件を聞くと、「そうなんだ」と、ほとんど動じていないようでした。あまり人を褒めない父も、「コイツのどっしり構えたところは、大したもんだ」と誇らしげでした。

翌日は、携帯のキャリアを乗り換え、電話番号も変えました。終始、高揚して、かつ幼児退行したかのような私に、父は半分呆れていました。

その帰り道、本屋に寄ると、父は、「お父さんは、教会の幼稚園に通ってたって、おまえは知らなかったかもな。こういう、ちゃんとした聖書に、しっかりした教会で向き合うなら、何も言わなかったんだけどなぁ。どうだい?買う?」と言うと、驚いたことに、すんなりと聖書を買ってくれたのでした。

ただ、タイミングが早すぎたため、私は聖書にのめりこみすぎました。予備校の自習室での速記の延長で、思考が正常に働かず、目まぐるしく稼働していた私は、聖書だけでなく、世界史の教科書など、あらゆるものにペンで印をつけたり、書き込んだりしました。そうしては、「世界はこうなっていたんだ」と何かを知った気になり、“躁状態”の症状も加速しました。

気持ちの高揚は、精神的なダメージが深刻なことの裏返しであり、その夜、教団の資料で奴らの暴行事件のことを目にした私は、動転しました。

「あの子を学校に行かせちゃダメだ。しばらく休ませないと!あいつらにさらわれちゃう。大事な弟なんだ」と母に泣き縋ります。「お母さんも外に出ちゃダメだ。僕は、みんなを愛してるんだ。愛してるから…」と必死に訴えました。私は、この時、母に「愛している」と心から叫んだことを、のちにしばらく照れくさく思っていましたが、数年後には、心からのメッセージを伝えたという大切な思い出に変わるのでした。

普段は別々の部屋で寝ている家族も、この日からはしばらく、一緒の部屋で休むことになり、「うるさくて起きちゃったよ」と、呆れた様子の父。「今日は休もう、ね?」と母。こうして、その日は眠りにつきました。

あくる日も、私は朝から躁状態でした。教団への恐怖は、気持ちの異常な高揚によって麻痺していました。

『七星の拳』というアニメの再放送をみた私は、そこに登場したUDというキャラクターが、禍々しい宮殿で、連れ去ってきた女性たちに「俺は美しいか」と問いかけるシーンを観ると、「これは、奴らの“教祖”そのものじゃないか」と捉えました。「これは、重要だぞ」と、即座に紙に書き取ります。私は、このように、「自分が目にするものには、全て意味がある」と思い込み、身の回りのあらゆる情報を筆記しては無理に繋ぎ合わせ、意味を見出そうとしました。

私の状態は、非常にまずいものでした。カルトと接触したことが引き金となり、過去の大怪我で受けたショックや夢破れたことの悲しみといった、今までの人生で蓄積されたダメージが、“中学で罹患した病の悪化”という形で現れたのです。それは、「それまでの人生における負の集積を、有意味なものにしよう」という深層意識が精神に作用し、“躁状態を伴う妄想”に変容したものでした。予備校から始まった速記の正体は、精神疾患の症状だったわけです。

「聖書が“比喩”で書かれている」という洗脳を受けた私は、そこから解かれた時から、「何気ないものも世界の真相を“暗示”している」と考えはじめ、「世界の隠された真理を見つけ出す」と躍起になっていました。

世界に存在するものに関する情報と、自分の遍歴を結び合わせ始めた私の妄想は、もはや歯止めが効きませんでした。そして私は、「何かがゴールに近づいている」と思い始めました。「自分のこれまで歩んできた人生の何かが、素晴らしい形で結実する」という、具体性のない、大それた空想を描き始めたのです。ここにきて登場したのが、“かの少女”でした。

断交を伝えた後の数日は、家への電話が鳴り止まなかったそうですが、奴らも諦めたらしく、S女子大の先生が、[苦難につけ込まれ、洗脳されて利用されてしまってはいるものの、教団の信者は基本的に善良な青年たちなので、これ以上の接触は、まず、ないはずです。安心してください。]との返事をくださったこともあり、「少々、明るすぎだけど、カルトの影響はもう、なさそうだ」と判断した両親。しかし、妄想の内にある私は、そのメールの内容を説明されると、「そうか、数日後に、S女子大の研究室で、教授とあの子で古代エジプト文明の研究をするわけか…」と、「考え抜いたこの先に、あの子が待っている」と、意味不明な思考に向かったのです。

勉強部屋としてあてがわれていた自宅の斜め向かいの祖父宅の一室で、世界史の教科書を広げて書き込みを続ける私。同時に、かのキャラクターが出てから興味が増した『七星の拳』を熱心に読みます。

やがて、パソコンでの調べ物も始めました。情報の嵐に、渦巻く思考…。私は、自分が混乱していることに気づけぬほどに、“自我を残したまま、理性を失っている”状態でした。

十日間ほど過ぎ、夏期講習が終わった高校では、希望者による長野県での勉強合宿が始まっているようでした。最初にアメフト部へ誘った、かのチームメイトは、そこに参加しているらしく、私は躁状態のまま彼にメールをしました。「あの時は、どうしちゃったかと思った」と、気心の知れた彼でさえ心配するほどだったことを後に知りました。

友人と連絡がついて、勢いに拍車のかかった私は、「あの子と話したらしい例の友人が、彼女と連絡する術を知っているのでは」と思い立ち、尋ねてみると、彼もやはり困惑気味でしたが、[俺も、もう随分と連絡してないし、まだ使ってるかわからないアドレスだけど、教えるね。]と、連絡できるかもしれない手段を得ました。

彼女の連絡先を知ることなど、全くと言っていいほど意味のないことでした。あの子が理想的な存在であり、手の届かぬ点にこそ、憧れることに美しさを感じるという、精神的な恋愛としての価値があったからです。それでも、この“届かない”アドレスを知ったことには、しっかり意味がありました。これが、彼女でなく、“本当の自分”に出会う放浪のきっかけとなったからです。

大怪我を負った時に、「気分転換に」と買ってもらったユニークな機能のあるノートパソコンがあり、彼女のアドレスを知った私は、そのパソコンと向き合って、勉強部屋でメールを送りました。そうすると、“MAILER-DAEMON@~”という宛先から、プログラミング言語が並んだような文章が返ってきました。当然これは、アドレスが見つからなかった場合に来るメールなわけですが、それを「返って来た!デーモン?そうか、古代に語られた魔物を意味してるのかな。“こっちのアドレスに変えた”って教えてくれたのね。それにしても、プログラムを組めるなんて、すごいなぁ」と捉える私。どれほどに理性を失い、あらゆることを都合よく関連づける症状が出ていたかが、如実に現れています。

この時から私は、一人で届きもしないアドレスに文章を打っては、返ってくる自動メールを読み、そこに書かれている記号を解読しようとしていました。その途中で、目に入ったサイドバーから連絡先を開き、中学時代の友人が使っているアドレスを見ただけで、「そうか、この子は、中学の同級生の知り合いだったのか」と妄想を働かせてしまう私。中学時代にとりわけ仲が良かったグループの、当時の支えにもなっていた男の子に、[あの子のこと、知ってたとはなぁ!プログラミングやってたのかぁ。]とメールをします。心配した彼から電話がかかってくると、意味不明なことを返す私。友人のただならぬ様子を察した賢い彼は、二回目は、私直通ではなく、家に電話を繋げました。そこで話を聞いた両親はようやく、「この子の動向は注意しなくてはいけない」と思ったようでした。

両親は、私の状態を注視していましたが、具体的に打てる策がなく、大変な心労をかけました。そんな心配をよそに、引き続き私は、本を読んでは奇怪な注を書き込み、ネット上の文章をノートにまとめて不自然に繋ぎ合わせます。

パソコンに向かっていると、広告欄にマッチングサイトの広告が出てきました。「あの子がプログラミングで、パソコンを遠隔操作してくれている」と思い込んでいた私は、自分でクリックしたのに、ページが勝手に開いたかのように捉え、「仮登録をすればいいんだね。ありがとう」と呟くと、自ら操作をして新規登録をします。そうすると、会員の顔写真が出てきます。「なるほど、この中にキミがいるんだね。年齢は、俺より一つ上のはず。18歳からしか使えないから、18~21歳に設定しよう」と、詳細検索をかけます。理性がほとんど働かないにも関わらず、自我と知性が残っているというのが、このときの症状の厄介なところでした。

すると、いくつか進んだページの2段目あたりに、あの子そっくりの人物が写っています。幻覚が起きていても不思議でなかったうえに、顔写真だけなら見紛う可能性もあります。ただ、少なくとも、あの時の私には、かの少女に見えたのです。さらには、この写真だけなら、精神への影響も幾分か少なかったかもしれませんが、プロフィールで用意された質問に対する応えが、<…宗教ってなんでしょう。茶道をしているので、仏教と縁があるくらいです。…人種ってなんでしょう。日本人です。典型的なすり足歩行の。…>といったように整っていたため、この人物に対して非常に知的で深い人間性を見出した私は、「この子だ、そうに違いない。なんと優れた人だろう」と、尚更、高揚したのです。“居住地が京都”とある時点で、あの子であるはずはないのですが、「今は、そっちに引っ越したんだね」と都合の良いように情報をねじ曲げて受け取ります。

しかし、ここから具体的にメッセージのやり取りができません。「どうしたものか。続きのプログラムを送ってもらえたらなぁ」。そう思っていると、マッチングサイトの下に、“ネット仮想空間”の広告が表示されました。「ありがとう!ここに行けばいいんだね」。そう思った私は、自分の視界に偶然入っただけのホームページに飛んだのです。そこでも新規登録をほぼ無意識に済ませると、最初の友達候補としてランダムに表示されたユーザーのアバターをクリックしました。プロフィールに飛ぶと、<ようやく彼と結ばれました。嬉しい!>というブログが。「やっぱり、キミがメールのプログラムで、マッチングサイトからここまで誘導してくれていたんだね。“結ばれた”だって。うわぁ、うわぁ、嬉しいなぁ!」と歓喜する私。勘違いなどという次元ではなく、止まることを知らず膨張した危険極まりない妄想です。躁状態にいっそう拍車がかかりました。

私は、かの少女との再会を妄想のうちに期待し、天国にいるように錯覚して舞い上がりました。これは、脳内麻薬がみせた幻想でした。ただ、この“まやかしの楽園”があったからこそ、真に至るべき“御国”の美しさをのちに知るのです。

日付を跨ぐまでネットの仮想空間で、目まぐるしく人と接触する私は、「この仮想空間は、現実とリンクしているんだ」と思い込みます。この妄想から、「ここに登録しているしている人は、全員、俺の知り合いなんだ」と思考は発展し、アバターの容姿を見ては、似ている知人と結びつけました。“島”と呼ばれるアバターが住まう空間の訪問を続けていると、「数人が部屋で会議中です」という表示がされているところがあり、私は、「キャプテンとあの子らが相談しているんだな」と、「アメフト部同代のキャプテンと、かの少女が俺を歓迎する相談をしている」と思い込みました。

当時の私が為した行動に理由を求めることは不毛ですが、ここで、初勝利の決勝点を取った頼れるキャプテンが出てきたのは、かの少女が異性としての理想ならば、アメフト部の盟友は男として理想的な存在であり、無意識のうちに羨望していたからかもしれません。

あまりに長時間の稼働から、深夜2時を回るころ、パソコンが動かなくなりました。新しいパソコンがフリーズするというのは、よっぽどの使い方をしたのでしょう。いかに狂気的な思考とともにネット世界に向かっていたかがわかります。

こうして、「明日、みんなで京都に集まるんだ!」という、ありもしない計画を楽しみに、ようやくの眠気とともに目を閉じました。

 

*注10

ー大怪我が私の肉体的な(恩恵への)転回だとすれば、私の霊的(信仰への)転回は、この辺りから急激に進むこととなる。聖書では「信徒のからだ(人格)は“聖霊(第三位格の神)の宮”となる」とされる。人間的な言い方をすれば「神が自分に宿ることで、良心が極めて鋭く刷新されてゆく」と表現できるだろうか。イスラエルは強国の捕囚によって壊された神殿を復興させた。このことは「“苦難によって未信徒が信徒になるときに起こること”の象徴である」と言えよう。心身ともに疲弊しきった私が“再建”される様子を追っていただきたいー

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