Age21 Age22-26

復活

「すべての病が完治する」

母がいなくなってしまったという実感は、ほとんどありませんでした。精神疾患に対して、思考の働きを鈍らせる薬によって治療していたこともあるかもしれませんが、それ以上に、あまりに突然でしたし、どこかで母の死を認めたくない自分がいたのだと思います。

母がどこにいるかは分かりませんが、「僕にできることは、病を治すことだ。元気になることを、お母さんは一番喜んでくれるから」と、自分に起こる症状と副作用の狭間で格闘することに奮起します。

その年も、経過を報告しながら、とにかく地道に薬を調整していきました。服薬量は減っていき、副作用は和らいでいったのですが、決定打がありません。

そうして、私が21歳になった年の半ば過ぎ。新しい薬を試したところ、入院によって妄想を制御してからというもの、ずっと苦しめられていた“漠然とした不安”が抑えられるようなりました。投薬を始めて実に三年で、陽性症状に対する常備薬の選定に加え、陰性症状を治める“自分に合う薬”との出会いを果たすことができました。服薬している以上、本来の思考能力を完全には発揮できませんが、ここまで来ると、いよいよ日常生活に対する病気の影響は少なくなります。

新薬を使ってからの経過を主治医に報告すると、「療養後について考えてきましょう」と言われました。「療養“後”ですか…?」と私は耳を疑い聞き返します。「そうです。療養はもう終わりよ!」と明るく返事があります。

私は、こんなに急激に療養生活が終わりに向かうとは思っていませんでした。体質に合う薬を見つけるには、数ある種類の薬を服薬量の調節をしながら、ある程度の服用期間を以って試して判別していかなくてはいけませんでした。三年近く時間をかけてきたのが、まさにその作業で、投薬が治療の基本である以上、自分に合う薬が見つかるというのが、一つのゴールだったようです。

「次の診察までに、目標を決めよう!」と言われ、喜ぶ私。帰宅後、「お母さん、僕、ここまでよくなったよ!」と仏壇で手を合わせます。

「さて、ここからどうするか」。たっぷりある時間を使って、考えます。高校在学時は、歯科医院を継ぐことを視野に理系クラスにいましたが、この機に再考しようと思いました。生前、祖父は、「おじいちゃんは百歳まで生きるから、お兄ちゃんは日本一の大学を目指してね」と、歯学部がない大学を勧めており、かねてより父も「歯科医は本当に大変だから、継ぐことは無理に考えなくていい」と言ってくれていました。私の状態もありましたから、父に相談すると、「お父さんは、臨床の歯科医になるつもりはなかったけど、今はこの仕事をしてる。患者さんに感謝してもらえるとそれは本当に嬉しい。何が正解かなんて人生にはないんだから、のり君のやりたいことに向かって進みなさい」と言ってくれました。放蕩息子もいいところなのに、「そんなことは絶対にない」と、私をいつも尊重してくれる父には、感謝しかありません。

「この際、一から勉強するつもりで、文転も視野に入れよう」と考えました。というのも、私は、教団に偽りの教説を聞かされながらも、祈りによって脱出する経験をしてから、神に対しての興味をずっと持っており、「キリスト教を正しく学びたい」と思っていたからです。

九月も終わりに近づいていました。「今年度に間に合わせる必要はないし、とりあえず検索をかけてみよう」と調べてみると、“K大学倫理学専攻”が目に留まりました。受験科目は、英語と現代文、選択で数IAを選ぶことができ、高校時に強みだった科目のみで受けられそうだったので「これなら、ブランクがあっても、三ヶ月強でなんとかなるかもしれない」と考えました。

それ以上に私の目を引いたのは、ホームページに掲載されていた、“古今東西の思想を満遍なく体系的に学べるのは、日本で唯一、この専攻だけです”という専攻主任の言葉。キリスト教だけでなく、西洋哲学、仏教思想、日本思想など、数多くの哲学分野を総合的に学べるカリキュラムは、「これまでの自分の苦難は、視野の狭さにあった」と感じていた私には、大変魅力的でした。

「哲学者達の多様な観点を学べば、きっと視野が広がるし、キリスト教を俯瞰的に見ることもできる。就職がどうこうじゃなく、これからの生き方を考えたい」と思い立った私は、この大学の受験を第一に検討しながら、参考書を取り寄せる時間、この道でいいかどうかをしっかり吟味したのち、入試へ挑戦することに決めました。

そして、10月に差し掛かったとき、四年近いブランクを抱えた私の、三ヶ月集中の勉強が始まりました。

最初は、数IAを選択するつもりだった私ですが、中学時代から参考書コーナーを覗いては教材を眺めるほど、“倫理”に興味があったので、「集中力が切れても楽しむ感覚で勉強できたらいいかもしれない」と考え、英語、現代文、倫理での受験に切り替えました。

私の計画は功を奏し、得意だった英語はブランクがあっという間に埋ったので、“古典が出題されない国語”のみに多くの時間を割くことができ、集中力が尽きたら、“楽しく”倫理の教材に趣味のような感覚で取り組めました。まだ服薬量は、それなりにあったため、本来の思考能力ではありませんでしたが、それでも目覚ましい学習効果を日々感じました。

祖母宅に長期間泊まらせてもらい、応援を受けながら取り組めたこともあり、入試でもしっかり実力を発揮すると、3月の初旬、合格通知が来ました。「お母さん、喜んでるだろうなぁ!」という父の嬉しそうな様子に、私も「お母さん、やったよ!」と報告しました。

こうして、22歳の春。一般的な卒業にあたる年齢で、私は大学に入学しました。

四年近く、家族以外の人とほとんど接していなかった私ですが、この専攻の学友は素敵な人ばかりでした。個性豊かでありながら、飾り気がなく、嫌味なところが全くない。最初は緊張しましたが、アットホームな雰囲気にすぐ溶け込みました。ほとんどの友人が四つほど離れていましたが、変な気を遣わずに慕ってくれたことが本当に嬉しかったです。

幼い頃から生活の中に忍んでいた、“精神疾患の影”が、病と正面から向き合うようなった今は、もはやありません。療養明け、薬の副作用も抜け切らず、“本当の私”への道に乗ったばかりで、青さの残る振る舞いが目立ちはしましたが、それも含めて新生活は、小学校時代の再来、いえ、それ以上の輝きを放っていました。

生活の中心は講義でしたが、それがなんと面白いこと!先生の手腕が光っていたのはもちろんですが、哲学に触れる新鮮さがたまりません。「僕が倫理に興味があったのは、“なんとなく”ではなかったんだ」と、すぐにわかりました。また、教授はじめ、専攻に関わる先生方は、人格者しかおらず、それまで尖った大人達を数多く見てきた私は、その点に一番驚きました。

新しい大学での日々は、楽しい反面、エネルギーを余すことなく注ぎますから、本来の体力ではない私は帰宅するとヘトヘトで、そういう意味で登校が億劫になることは度々ありました。そういうわけで、初年度は気力と体力面でやや苦戦を強いられましたが、成績が一番であったことが、確実に快方へ向かっていることを示していました。

しかし、言い訳のようですが“幼児退行”からの回復途上という事実はあり、過ちを犯してしまったこともありました。とりわけ初年度は「せっかく入った大学だけど、辞めよう」と、登校中に気の狂ったフリをしようと思ったことも多々ありました。「まだ早かったか…いや、通常の生活はもう無理かもしれない…」と諦めかけた。しかし、忘れもしない、それは“美学・美術史概論”の授業時でした…

思わず声にしてしまいそう、しかし驚きのあまりただ口だけを呆然として開けて

「あ,あ,…あ,い…?愛…!どうして…そんな馬鹿な…あり得ない…」

思考が渦巻き、混乱し、驚愕しました。

高校時代に出逢った彼女、私を大きく動かした彼女-三塚 愛-に“瓜二つ”の女学生が講義に同席していたのです。いつも最前列に座っていた私は、広い教室の真ん中に、後方から入っていたらしい彼女に気づかなかった。

「人違いに決まっている…。愛と逢ったのは俺が高校一年のときだ。仮に情報が間違っていて彼女が当時、同い年だったとしても26歳…どう見積もっても、あの人が彼女であることは考え難い…いやしかし…」

私は、あり得ない状況に圧倒され“あの時と同じく”、その人に声一つ掛けられませんでした。

ただ、あの子にそっくりな、まさしく美学で言うところの“アウラ”のようなその女性の美しさゆえに、私は曲がりながらも「大学に通う理由」を見つけたのでした。

結局、彼女が誰かも分からぬまま、瞬く間に美概の履修を終えました。ほんとうに“あっという間”でしたが、逆を言うとそれだけ、大変だったはずの通学に作用していた。それ以降、その人に会うことはなかったですが「“美のイデア”との不思議な再会」は、私に大学生活を進むことを促したのです…。

それからの日々は、サークル活動を楽しんだり、バイトを体験してみる、といったことは一切せず、とにかく勉強に励みました。私が勉強するのを誰より喜んでいた祖父が、「孫の勉学のために」と学費を遺してくれていましたので、「想いに応えたい」と思いましたし、「今や、ほぼ枷がない状態の自分が、どこまで頑張れるか試してみたい」との考えから、学問に集中しようと決めたからでした。

そして、この専攻が卒業論文に大変な力を注いでいることを、ガイダンス初日から既に上級生から聞いていましたので、「最高の卒業論文と、最高の成績で卒業する」という目標を掲げたのです。

大学がある日は、授業に全力を傾け、休みの日はその復習をしてから、卒論のテキストをひたすらに読み込みました。私は、西洋哲学と東洋思想を学びながらキリスト教思想がどのように受け取れるかを感じてみたかったので、“教父”アウグスティヌスの『告白』をテキストに選びました。数あるキリスト教思想書の中からこの作品を選んだわけは、授業で使っていた倫理の用語集を読んでいた時に、アウグスティヌスが“マニ教”という異端に属していた旨が描かれていることを知って、自分に重なるところがあったからです。

実際に手に取ると、「これで論文が書けるだろうか」と思うほどに難解な書でしたが、だからこそ奮い立ち、長期休みも含め、ひたすらに読み込みました。

専攻の選択必修科目でキリスト教の概説的な授業を受けていた私は、調べもので分からないことがあったことをきっかけに、かつて父が通っていた幼稚園が昔に併設されていた近くの教会に足を運んだりもしました。そこで、“青銅の蛇”について質問したことが、今でも印象に残っています。

それは、

「苦役に服されていたエジプトを出て、モーセに率いられた民たちが不平を言って反抗すると、神が懲らしめのために燃える蛇を送り、青銅で作られた蛇を見上げた者だけが回復した」(民数記21章の私的要約)

という話についてなのですが、「“いたって明快なこの記述のどこに引っかかったんだろう”との不思議が、記憶に刻まれた理由だろう」と、その時は、とりあえず納得しました。

このように、時々、思いつくように教会に向かっては学びを深め、授業の合間や帰り道には学友と交わす談笑を楽しみ、全力を注ぐ受講と入念な復習に勤しみながら、卒論テキストの読解に耽る。そうした日常のバランスを、運動による減量という趣味で保ちながら、定期診察での地道な減薬と疾患の加速的回復に歓ぶ。これが、私の大学生活でした。

『告白』を読めば読むほど、このテキストに熱中していきました。哲学の基礎を学び、多くの思想を知り、研究の技術を習得していく中で、読解の質も向上していきました。教授から添削を受けては、自分の読みがまだ甘いことを思い知りましたが、その都度気持ちを新たにすると、アウグスティヌスの思想に深く踏み入るのと並行して“自分が変わっていくこと”を感じました。

思想を学ぶというのは、“一人の人間が生きた時代や過ごした環境などを踏まえ、その哲学者が歩んだ真理探究の軌跡を辿ることで、普遍に迫る営み”でした。

学べばそれだけ私は、「これまでの人生の意味することは何だろう」と、自分自身の半生についても考えるようになっていきます。

私はテキストに向かう中で、アウグスティヌスが神へ『告白』する形で、“回心”に至るまでの半生を描きながら主張することに、“神に心を向けるという讃美の勧告”という普遍性が内在していると結論づけました。

そのような答えを出す長く深い研究過程で、経験の奥にある神の導きを懐古の中で理解し感謝する彼の姿を、目の当たりにするかのように読み取る私。気づけば、「個人的な信仰観を論文に反映してしまっているのでないか」と思ってしまうほど、知らずのうちにアウグスティヌスの讃美に感化され、今度こそ、病的でも異端的でもなく、真っ直ぐに神に祈るようになっていました。

身体が痩せていくのと並行するかのように、自分の青さが削ぎ落ちていく気がしました。“真の祈り”とともに、私は病気の回復以上に、人間としての成長を実感していきます。そのようにして自身を研いでいくうちに、泉が湧くように、心が潤ってゆきます。

四年間の平均GPAが3.5を越え、卒論でも最高の結果を残せた私は、「目標を遂げた」という達成感とともに、服薬も日に2錠となった自分の完全回復を悟りました。

こうして大学を卒業した私は、それから一年の真理探究の後、キリスト者になりました。

そこにはもはや病の影はなく、渇いていた時の私が求めていたものとは比較しようもない、静かに湧き立つ、平穏で朗らかで澄み切った、瑞々しく爽やかな心がありました。それは、高揚に任せた躁状態とは全く違う、霊的な躍動です。

今や私は、この世にあって、御国に足を踏み入れたのです。なぜなら、キリストが語ったように「“神の王国”の本質とは、(光に向き変えるという)自らの在り方だから」です。

 

~コラム④~

卒業後の私が思索した三つの“宗教哲学”。

1)普遍思想

→福音書“のみ”を読んで救済論を誤解した思想。心の平穏が天国であり、神が人に戒律を与えたのは「守ることがその人のためであるから」とする。

2)監獄の哲学

→プラトン的なギリシャ思想に影響を受けたもの。「人間は天使が堕落し、肉体という監獄にある状態であり、輪廻によって清められたのち天に還る」とする。

3)真なる理

→浄土系の救済観に感化されたもので、救済を願う者は仏性があるというロジックで「救われない人はいない」という“万人救済説”に近い思想を展開する。

いずれも、“間違い”である。

(1)は聖書全体の救済論を一切考えていない

(2)は肉体を仮ものとする典型的な無律法主義につながる

(3)は人間の都合を神の計画より上位に置いている

という点が、特に致命的である。

論ずる必要がないような“幼稚な”思想だが、

聖書という真理に至るには重要な過程であった。

私はこの後、聖書を通読することで回心に至り、

約半年の“自由主義神学”を経て“福音派の神学”に着地する。

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