Age18

「バアルの接近」

アメフト部の引退。それは、大学受験に本格的に向かうことを意味していました。主務をしながら自主トレもして、苦悶することもたくさんあった私は、何の束縛もなく受験勉強を始める周りのクラスメイトのことを疎ましく思ったものです。どうしても、ひねくれて羨んでしまいました。しかし、いざ勉強を始めることになると億劫で、「彼らを見習わなければ」と改めました。

ただ、私を待ち受けていたのは、これまでの“誰にも非がない”こととの対峙とは違う、明確な“悪”との闘いでした。

話は少し遡り、三年生に進級する目前の一月頃のこと。

土曜日は午前授業のあとに練習ですが、この日は休みでした。「久々にゆっくりするか」。そう思った私は、足早に帰路につきました。

高校の最寄りから地下鉄に乗り換えるのは、都心の大きな連絡路であり、終着駅でもあったので、片方に折り返しの電車がしばらく停まっています。いつものように最後尾の壁に背をもたれようと思ったので、すぐに出発する方には乗らず、しばらく停車している、空いている方に乗り込みました。

そして、壁を背に参考書を読み、出発のアナウンスがかかった頃、小学校低学年ほどの少年を連れた大学生くらいの青年が乗ってきました。なんということもなく、私は再び参考書に向かいました。

そうして、二駅ほど進んだ頃、「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな」と、その青年が話しかけてきました。何だろうと思いつつ、親切心で対応しようとしました。「今、弟とサッカーしてきたんだけど、お腹が空いちゃったみたいで。二つ先の駅で、ご飯食べられるお店、知ってる?」。私は、途中の駅で降りたことはない旨を伝えました。すると、「そっか、ありがとう。そうだよね、途中で降りないもんね」。優しい雰囲気で、爽やかな青年だと思いました。そうして、その駅に着く直前、「あ、せっかくだから、メールアドレス交換しない?何かの縁かもしれないから」と言ってきました。私は疑い深い性格でしたが、幼い子を連れていたことで油断していました。それでも、完全に警戒を解いてはいなかったので、「形だけ交換して無視すればいいか」と思い、赤外線でやりとりしました。駅に着くと、その青年は少年と降りていきました。

私は次の駅で、自宅の最寄りまで向かう電車に乗り換えました。「何だかな。このアドレス、どうしたものかな。まぁ、いなせばいいや」。そう思って、家に帰りました。

その日の夕方、その青年からメールがありました。

[さっきはありがとう!急に話しかけてごめんね。困ってたので、優しそうだった君に尋ねました。お店、見つかりました。]

文章には先がありました。

[最近、読書にハマってて、もし、面白い本を知ってたら、教えてほしいな。]

返す必要はなかったのに、「無視するのは、ちょっと失礼だから、軽く返して距離を取ろう」と礼儀を履き違えた私は、わざわざ返信してしまいました。

[それはよかったです。ただ、すみません、アメフト部の春大会が近いので、連絡は取れません。]

これで、牽制したつもりになりました。

さて、このような経緯があった後、引退試合が終わりました。

いよいよ、本格的な受験勉強に移り、一気にギアを入れ、その青年のことを忘れたころ、メールが来ました。

[久しぶり。大会、終わったかな。おつかれさま。俺はサッカーずっとやってたから、アメフトがどんな競技か、興味あるな。]

私は、その青年が時間を置いて連絡してきたことで、「彼なりに気を遣ってくれた」と思い、同時に、「まだ話したいと思ってくれるのか」と、愚かしくも思ってしまい、やり取りを続けました。

「いい人だし、面白いな」。やり取りの頻度は、少しずつ上がっていきました。受験勉強に追われるようになっていた私は、その青年とメールをするのが“息抜き”になりつつあったのです。

気づけば、警戒心はどこかへなくなっていました。

そんなある日。

[俺は、自己啓発本に興味があるんだけど、君は何か読んだりする?]

とメールが来ました。これは、巧妙な“罠”でした。それと気付かぬばかりか、私は彼に絶好の機を与えてしまったのです。

[習慣づけの本とか、読んでました。最近は、ニーチェの考え方を実生活に活かす趣旨の本を読んでます。]

そうすると、この哲学者の思想を、ここぞと逆手に取り、

[ニーチェかぁ。“神は死んだ”って言った哲学者だよね。俺は、神様はいると思ってる。君はどう?ニーチェの本で、思ったところはあった?実は俺、自己啓発に最も適してるのって、聖書だと思ってるんだ。宗教の話とかってさ、遠ざけられちゃうけど、世界で一番のベストセラーって、聖書なんだよね。]

少しずつ、話が、そちらの方面に向かいました。

[神がいるかは、ちょっと分からないです。でも、病気になって、祈ってしまったことはありました。そうなのですか!聖書が最も売られているとは、知らなかったです。]

彼とは、身の上話をするまでになっていました。それまで、上級生としか話したことがなかった私には、五歳以上離れたこの青年との会話は新鮮で、かつ、彼が自分の辛さを躊躇いなく話すことに、親近感を抱いていました。

[もしかしたら、神様に祈る素質みたいなものがあるのかも。俺は、毎日、祈ってるよ。高校で辛いことがあって、それから色々経験した。今度さ、君の学校の近くで会わないかい?もっと色々話してみたい。あ、でも、受験勉強が忙しいだろうから、空いてる時でいいけど。]

私は、もはや、「そんな時間はない」と思うどころか、「どうやってこの青年と会う時間を確保するか」と考えるようになっていました。

そして、後日。たしか六月初旬の土曜日だったかと思います。彼と遭遇した都心の連絡駅で、授業後に落ち合うことになりました。

電車を降り、西口に向かいます。しばらくすると、彼がやって来ました。そうして、近くのファミレスに入りました。

「どこの大学を目指してるの?」といったことや、「アメフトってどんなスポーツ?」など、変わるがわる会話をしました。店が混んでいなかったこと、その後の予定がなかったこともあり、随分と話し込みました。大腿骨の骨折について話せば、彼は同情し、自身の過去も惜しげなく話しました。

そして、「そうそう、今日、聖書を持って来たんだ。この前した自己啓発の話題で。よくさ、宗教なんて魔術的で、聖書の記述なんて信じられないとかって、敬遠されちゃうんだけど、ちょっとだけ話してもいい?」

打ち解けていたとはいえ、この時ばかりは私も、内心で疑ってかかりました。ただ、ここで疑ったことが、裏目に出てしまうのです。

「たとえばさ、聖書のここ。イエスがペテロに、“針を落としてかかった魚の口から、銀貨が取れる”って言ってるでしょ。これ、信じられる?」。

その問いに、「ちょっと、現実的ではないかもしれないです」と答える私。

「そうだよね。その場合、何が考えられるかな?」と、彼。

「何か違う意味があるってことですか?」と不思議がる私。

「鋭いね。たとえ、って古文で習った?」と、彼。

「比喩…ですか?」と答えると、高揚する彼の反応に、得意げになる私。

「ここでね、“海”っていうのは“世の中”を表していて、“魚”は“人間”を表しているんだ。つまりさ、ここで言ってるのって、“世の中に出て御言葉を伝えると、奉納金がもらえる”という意味なんだよ」。

「なるほど…!え、すごい…、そういうことか」。

私は、聖書をリュックから出した彼を疑いながら聞いたからこそ、かえってその話に納得し、「そもそも宗教に対して疑ってかかるのが間違いで、聖書が比喩で書かれていることを知らなかったりする誤解からくるんだ」と思ってしまい、飲み込まれたのです。

「随分と話したね。でも、楽しかったでしょ?もしよかったら、時間がある時にまた話そう」と微笑むその青年の小話を鵜呑みにしてしまった私は、あろうことに、「是非」と返すのでした。

そして、続け様に「ただ、こう言う話ってさ、やっぱどうしても嫌厭されちゃうから、親御さんには内緒にしておいて」と念を押されます。“宗教的なことは避けられがち”という彼の言い分は間違いではないかもしれませんが、“話したらまずいようなことが真理であるはずがない”ということが、愚か者の私にはまだ分かりませんでした。そればかりか、“聖書の隠された謎を秘密裏に共有する”という魅惑にあてられてしまった私は、「口の堅さには自信がある」という自負を、誤用してしまったのです。

その二週間後あたり、今度は、その青年の高校時代からの親友だという若者と会うことになりました。“爽やかで知的なスポーツマン”という感じの男性で、彼からも、“比喩で書かれている”らしい聖書の話をされました。

次は、一週間後。徐々に会う感覚が狭まって来ます。今度は、この二人の先輩にあたるらしい物静かな男性も同伴し、定食屋で話を聞きました。途中で、話を説いている青年と聞いている私を残して、かのスポーツマンとその男性が“不穏な動き”をしたのが、どうも引っかかったのですが、深く詮索しませんでした。すると、「次は、S駅に、俺がルームシェアしてるマンションがあるから、そこにおいでよ。そこの方が、気兼ねなく話せるでしょ」とその男性。

「知らない人の家に行ってはいけない」という基本中の基本である教えが、親から離れたい年頃だった私の中で、薄らいでいました。当然、この日の訪問も、「誰かに言ったら引かれちゃうから、内密にね」と念を押されていました。

地下鉄のS駅を降りると、ほとんど目の前にマンションがありました。小さな一室を訪ねると、最初の青年と、あの物静かな先輩らしき男、あと、彼らの兄貴分だという30過ぎくらいの男性がいました。のちに知ることには、この男が彼らのグループのリーダー格でした。

青年が、紙の入ったファイルを取り出し、「讃美歌を歌おう」と言ってきました。リーダー格の男がギターを出して、三人は歌い始めます。私は戸惑いましたが、「いきまり歌えなくていいよ」と言われたので、口を小さく動かして、真似るにとどめました。

この日は、リーダー格の男が話します。「エリヤという預言者がいたんだけど、この人は、異教徒と勝負をしたのね。“どっちが奇跡を起こせるか”って。途中で、異教徒に囚われるんだけど、ここが今回のポイント」。私は、“禍々しい楽しさ”に浸って、すっかり聞き入っていました。彼は続けます。「“カラスが彼に食べるものを運んできた”ってあるでしょ。こんなこと、あり得ないじゃんね。ここのカラスって、どういう意味だと思う?」。私は考えますが、答えに詰まります。「カラスのイメージって、黒くて、ずる賢いでしょう。ここの“カラス”は、実は“異教徒”を指してるんだよ。身を隠していたエリヤのそばに、偽の神々への祭壇があって、エリヤはその供え物をさらって食い繋いだ。どう、意味が通るでしょ」。私は、すっかり感心してしまいました。

男の話が終わると、青年は言います。「この話は、僕らに教えてくれた“偉い牧師さん”が、聖書を2000回以上も読んで見つけたことなんだ。この分厚い本をだよ?すごいよね」。馬鹿な私は、感心していました。

リーダー格の男が、質問があるか聞いてきたので、私は、“信仰”にあたって心配だったことをいくつか尋ねました。もはや、この人間達を疑うこともなく、彼らが属する“名前も知らない何か”に参画しようとしていたのです。

当時は、通学路の間にある予備校で、パソコンの映像授業を受けながら、そこを、おもに自習室として活用していました。生徒と指導員の間だけで自由に予定を組めたことが災いし、親の知らぬ間に私の生活は受験勉強から、“バイブルスタディ”に傾いていきました。

「今の時代は、“成約”の時が近づいているんだ。だから、今この話を聞けるのは、本当についてるよ。俺が君とあの場所で会ったのも、偶然じゃないんだよ。神様が導いてくれたんだ」と、青年。そう聞いた私は、「受験勉強以上に、学ぶべきことがある」と思ったのでした。ただ、学業成績が下がると身内が怪しむことを懸念したらしいリーダー格の男は、「今度からは、B駅にもう一つ、共同で使ってるマンションがあるから、授業後、そっちにおいで。そこは広めだから、そこで勉強もしたらいい。きっと捗るよ」と提案し、裏の意図を知らぬ私は頷いたのでした。

この頃です。周囲のクラスメイトの目が、気になり始めました。何か、避けられているような感じがして、皆んなが私の悪口を言っているように聞こえます。こんなことは、今までありませんでした。周囲から慕われてばかりいた私は、悩みにかられます。「いつもの通り、気にしすぎだ」と思っていたのですが、どうやら、そうではなさそうです。ある男の子が、私に聞こえるのを憚らず、「アイツ、変だよ!」と言いました。それに賛同する子と、「そういうこと言うなよ。いい奴だぜ、アイツ」と擁護してくれる子に分かれました。

私は一年生の時から、食堂で、仲良しのグループと食事をしていました。未だに親交のある大切な友人達です。しかし、私を糾弾“してくれた”クラスメイトが近くのグループにいたので、私は、「友達まで変な目で見られ、迷惑がかかるといけない」と思い、昼休みになると、教室で独り、かきこむように弁当を済ませて、外を孤独にフラフラするようになりました。

私は、「俺の何がいけないんだろう…」と真剣に悩み、“彼ら”に相談しました。しかし、生い立ちに同情し苦しみを共有して接近してくる“彼らこそ”が、私を“マインドコントロール”し、不自然な振る舞いに至らしめた“根源”だったのです。

クラスメイトからの冷たい視線を感じているとき、自由選択制の夏期講習に入ったことで、悠長にも「ささやきが気になる教室から離れられる」と少し落ち着いた私でした。

学校の夏期講習は、午前で終わりだったので、B駅のマンションすなわち彼らの“アジト”に直接、向かいました。S駅のマンション然り、“アクセスが分かりやすすぎ”ます。よくよく考えると、不自然です。でも、そのことが、“新規の信者候補を誘導しやすいから”だとは、考えもしませんでした。

その日は、かのスポーツマン風の男が、大学で“宗教勧誘”した若者も一緒でした。この若者もまた、“人生に疲弊した人”でした。この時は、ビデオを見せられました。

薄暗い空間に、人が集まっています。演台の奥には、イエス“らしき”絵。既にマインドコントロールが進んだ私にさえ、“異質”に映りました。やがて、中年くらいの男が、躁っぽく話し始めます。話の区切れにしつこいほど、「信じますか?」と問いかけ、「アメーン」と返させる男。これは明らかに洗脳の手法でしょう。さらに、「私たちの目は、汚れています。見るものを疑いましょう。心の目でみましょう。信じますか?」と続け、「アメーン」と刷り込みます。この、感覚的に明らかにおかしい空間を、“我々の側に問題がある”と教え込むことで麻痺させる。なんとも恐ろしい儀式です。

ビデオが終わると、リーダー格の男が、新入りの若者と私に話をします。ノートを開き、その内容を速記するように書き取る私。その中で、「俺の師匠は、神様に3秒に一回、祈ってるそうだけど、その域にはとても達せない」と聞きました。それを受けた私は、“祈りと苦闘した頃の自分”を思い出しました。「絶え間なく祈っていた俺なら、毎秒、神様と対話できるはずだ」。そう意気込んで、その帰り道から私は、“自発的に”神へ祈り始めたのです。

以前、この集団に属する二人から、神を信じるようになったきっかけを聞きました。今、思い出しても、それ自体は素敵なエピソードだと思います。「神様が信じられない時、“神様がいらっしゃるなら、それを示してください”と祈ってみたらいいんだよ」という二人の経験談。このことだけは、誤謬でしかない彼らの戯言の中で、唯一、的を射いていました。

私は、二人の話と、リーダー格の男が言ったことを合わせました。“狂信的に神に祈ることで、その証を求めた”のです。

本来、「聖書は、書かれた時代背景と土地の文化を踏まえ、文脈に沿って読む」というのが基本中の基本であり、かれらの教説は誤りも甚だしい限りです。

最初に引き込まれたペテロの話は、本来は、魚の口から銀貨が出るというイエスの“人間ならざる奇跡”を目の当たりにした点こそが肝です。

エリヤの話は、もし、この預言者が偶像礼拝の供え物で食い繋いだなら、そのことが描写されない点が極めて不自然です。

そもそも、聖書が比喩で書かれているなら、比喩と断定し言葉の置き換えをした部分は、他の箇所にも適応できなければ論理が破綻します。彼らは、罰当たりにも、聖書の権威のみを盗んで、教祖を祀りあげる手段に利用したのです。

エリヤの話を彼らから聞いた私は、実は、その時にも、“私自らが異教徒と闘っていた”のでした。そして、エリヤが懸命な祈りによって悪しき者たちに勝利したように、神は私にお応えになったのです。

夏期講習の二日目。前日から、中学時代のように、しかし、今度は完全に自発的な祈りをしていた私は、授業を受け終わると一人、帰路につきました。この日は、アジトでなく、予備校の自習室に行くことになっていました。

歩きながらも、「神様、あなたがいらっしゃるなら、私にそれをお示し下さい」と祈る私。

そうして、駅までの道のりの、ちょうど真ん中辺りに差し掛かった時でした。突然、天が開け、眩い光が降ってくる不思議な感覚に包まれたのです。その時、私は、「神様、あなたは確かに、いらっしゃいました」と手を胸の前で握り合わせながら、その場にしばらく立ち尽くし、感謝の祈りを捧げていました。

この経験は、“太陽にかかっていた雲が動き、その合間から光が差した”という単純なものではありませんでした。この時を境に、私は、強烈な高揚感に包まれたのです。これは、中学時代の病が再発し、悪化したことを示す“躁状態”の始まりでした。しかし、このことが、結果的に私を洗脳から抜け出させました。だからこそ私は、「この瞬間に神の力を明らかに受けた」と今でも受け止めているのです。

何か、楽しくて仕方がない自分を、「神様と出会ったからだ」と喜んだ私は、その高揚感のまま予備校に向かいました。そして、自習室で、化学の復習をしようとプリントを開いた時です。硫酸と石灰の反応式をみた私は、「これは、恐竜が化石になった時代に、酸性雨が降った様子を表したものだ」という意味不明な思考をしました。そして、“スイッチが入った”ように、次々と奇怪な妄想を始めます。

持ち合わせているテキストの内容を、電子辞書で調べては、次々と無理に繋ぎ合わせていきました。

およそ五時間もの間、トイレにも行かず書き続け、「そういうことか、いや、これはすごいぞ」と、周囲の目も気にせず、とめどない狂気的な喜びを声に表しました。

後半、狂気の対象は、漢字へと移り、「人間の“間”から“日”を取ると“門”になるぞ…。狭き門から天国に入るためには、太陽を動かす必要があるんだ…」。そのような思考ののち、これまでの人生で出会った人物を漢字で並べ、その文字の一部を繋ぎ合わせ、「この人と、この人は知り合いだったのか」といった奇怪な図式を展開しました。

そして、渦巻く迷走の末に「成約の時代にイエスは現れない」と、何かを悟った私は、自習室の退室時間を数分過ぎ、上がってきたスタッフに帰宅を促されると、予備校を出て、「このことを伝えなければ」と彼らに電話します。

数人にかけても、つながりません。最初に出たのは、リーダー格の男でした。私が昂りにまかせるまま紙に書き表れたことを伝えると、「ちょっと落ち着いて。俺も霊的な速記の体験はしたけど、それはサタンの働きだった」と言われました。たしかに、手が止まることなく動いたのは、“霊的な速記”に思われました。その未体験の事象が、サタンによるものだと言われた時、私の高揚感は一転、慄きに変わりました。「とにかく、今日は帰って、明日、マンションに来て」とその男。

歩きながら電話をしていた私は、気づけば、隣の駅まで来ていたようで、落ち着かぬまま電車に乗り込むと、かの青年から着信がありました。次の駅で降り、通話します。「それは、サタンの妨害だ」と既に聞かされていた私でしたが、最初に私を引き入れたこの青年にも、熱弁を振るいます。そうすると、なんだか悲しそうに、「それは、間違いだよ。とにかく明日、落ち合おう」と言われました。

家に着くと、24時を回っています。温厚な父も流石に、「どこに行っていたんだ」と怒りました。「自習したあと電車で寝過ごして終点近くまで行ってしまいました」と嘘をつき風呂に入ると、霊的な攻撃を受けたらしい自分の状態に、「恐かった…恐かった…」と静かに呟きながら、さめざめと泣きました。

翌朝、目覚めてまもなく強烈な頭痛と怠さに襲われました。あれだけ長時間、不自然な頭の使い方をしたのですから、無理ありません。仕方なく、夏期講習を休むことにし、隠れて彼らに電話して、「回復したらマンションに向かいます」と伝えました。

部屋で休んでいると、階下で母がカレーを温めています。なんとはなしに「どうしてカレーを温めているの?」と聞くと「カレーは、定期的に火を入れないと、腐っちゃうのよ」と母。それを聞いた私は、紙にメモを取り始めました。彼らから、「聖書で“火”と書かれているのは“御言葉”の比喩だ」と教えられていた私は、「そうか、御言葉を定期的に聞かないと、人はダメになってしまうんだ」と高揚します。

息子の行動を目の当たりにした母は、異変を察しました。私はそのまま上の自室に戻って、筆記を続けようとしました。「ちょっと、どうしたの?おかしいわよ?」と心配する母に、「いや、おかしいのは、この世界の方さ。この世界は、創りかえなければいけないんだよ」と返す私。困り果てる母に、奇妙な話を説き続けます。

途中から階下に仕事終わりの父が戻ってきたようで、やり取りを聞いていたようです。母が、「あなた、ちょっと助けて。大変よ」と呼びかけると、私は、「おかしなことがあるか!」と叫びました。

父が階段を登ってきます。「このままでは彼らから引き離される」と思った私は、大声で抵抗します。

ここから三時間近くに渡る父との対話によって、私を操ろうとしていた組織が暴かれることになります。

「なんでだよ、聖書の教えは正しいんだ。どうして引き離すんだよ」と叫ぶように訴える私。「待て!」と手をかざす父。「聖書の教えが間違っているとは言わない。でも、この世には、“異端”と呼ばれる教えがあることを、おまえはしっかり知っているか?」。私が叫ぶたびに、「待て!」と手をかざす父の姿には、不思議な力を感じました。

父が冷静に論を組み立てて助けようとする中で、「今度こそは圧にやられず言わせてもらう」とばかり、かき消すように吠える私。錯乱もあってか、自分が置かれた状況ではなく、これまでに蓄積した不満に話を移します。

「なんで、いっつも俺が何かすると阻もうとすんだよ。俺だって大声出したくねぇよ!でも、これまでだって俺の言いたいことは、いつも無下にされてきたじゃねぇか」。私は、自ら話しながら、家族に事を隠していた理由が分かってきました。

「俺には自分に合った塾を選ぶ権利もなかった。いざ入ったら、“塾の勉強で学校の試験は間に合う”って向こうに言われて缶詰め状態で、実際は中学の授業とまるで噛み合わない。それで成績が下がったら理不尽に怒られ、両立させようと無理をした。あげく、病気になっておかしくなった。祈りを知って、宗教に興味持ったのも、それがきっかけだよ」と泣きじゃくる私。

「怪我でアメフト部が嫌になった時はどうだ、“それしきのこと”ってあんたは言ったけど、選手をするのをどれだけ楽しみにして、あの生き地獄の支えにしたと思ってんだよ!」と立て続けに叫びます。

「前にあんたら二人、言い合いになったろう?俺は、自分の弟があんなに悲しむ様子、見た事ねぇよ。そんな時だ。あの人たちに電話したら、彼らは祈ってくれたよ!心から祈ってくれた。俺が、あんたらよりあの人たちを信頼するのは、自然な事じゃないか?」。畳みかけるように言いました。

それまで心に溜め込んでいた怒りを吐き出していると、私は落ち着きを取り戻し始めていました。

「おまえの気持ちはわかった。そのことは心から謝る。本当にすまなかった」。父がそのような態度をとってくれたのは、はじめてでした。そして私は、一緒に色んなところに行った父との関係が知らずのうちに冷え切っていたことに気づくと共に、積もり積もった胸の内を話したことで、温かさが戻った気がしました。

「おまえが、その男たちに引っかかった責任は、俺にある。ここまでの話を聞くに、おそらくそれは“カルト”だ。キリスト教が間違った教えとは思わない。けどな、キリスト教には、たくさんの分派があって、多くの“異端”がある。お父さんは、“正統なキリスト教を騙る異端が間違っている”って言いたいだけなんだ。おまえを最初に誘った男の名前は韓国系だ。おそらく、そちらのカルトに違いない。どんなことを聞いた?」。

対話が終わる頃には、私は幼な子のように、すっかり父に心を開いていました。しかし、まだ洗脳は効力を失っていません。話しながら、折に触れて「接近するな。喋るたびに近づくな。お前、そいつらの影響を受けてるぞ」と注意する父。「おまえ、ずっとこうだったのか?近くにいたのに気づかなかったなぁ」。そう聞いた時、私はハッとしました。クラスメイトから、「アイツ、変だよ」と言われたのは、まさに“私がおかしな状態そのものだったから”だと気づいたのです。そこに思い当たった私は、「俺がまずい状態にあることは、クラスメイトも示していた。お父さんが言っていることが、おそらく正しいのだ」と解りました。

そして、「ここでのことは誰にも言ってはいけないよ」と彼らが厳命したのは、「話が“キリスト教的”だと知れたら君“が”他の人から“迫害されるから”」でなはく、「話が“異端的”だと悟られたら君“を”他の人から“引き離せなくなるから”」だったのだと思い至り、そこからは、冷静に、組織の特定に必要な材料を父に話しました。

情報が交錯し、混乱のうちにあった私ですが、韓国系のカルト教団に目星をつけた父が「おそらく、これだ…」と調べ出した資料をみました。印刷された文面には、“ペテロと魚”、“エリヤとからすのパン”という説話のタイトルと、あのおぞましいイエスの“ような”写真…。

あの日、定食屋で感じた“不穏な空気”を思い出した私は、「人目につく食事処で、“バイブルスタディ”を説くな」と、“組織の上官であった物静かな男”が“部下である若者”に指示をしていたからだと気づきます。

私はここにきてようやく、自らの愚行を完全に悟りました。

“教団S”–聖書を2000回読んだという牧師を名乗る男が、比喩を使って教えを歪ませ、自身を“再臨のイエス”だと祀りあげさせる破壊的カルト集団です。

 

*注9

ー私を洗脳したカルトは、今となっては議論する余地もないほど「幼稚な」ものである。しかし、言い方として適切か分からないが「反名教師としては一流」である。聖書は,文脈通りに読まなければいけない,指示がないのに寓意的解釈をしてはならない,当時の地的文化から切り離してはならない.こういった聖書解釈の基本原則と、真反対のことを彼らはしていたのだ。どうやら“牧師さん”(教祖)とやらは聖書を2000回、間違って読んだらしい。正確に一回通読することこそ「聖書を読むこと」なのだと教わった。洗脳状態から回復するまでは、非常に長い時間を要した。しかし、危うくゲヘナに落ちてしまいそうな私が、神の国に至ったことは“長きイスラエルの救済史”の縮図にもみえる。神にとっては「千年さえ一日のよう」であるから。さて、私はいかにしてマインドコントロールから解放されるのかー

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