Age07-12

改心

「人として守るべき道徳律」

やんちゃが際立ったまま、小学校にあがった。小さな体では通うのに一時間近くかかるところで、抽選や試験を経なければ入れない人気の学校だったが、受かることができた。私の入学時は、ちょうど創立100周年で、校舎が新しくなったばかりであった。

とにかく臆病な私であるから、最初の方は緊張した。幼稚園では背の順が後ろの方で、かつ、周りにおとなしい子が多かったので、小心者のくせして威張っていたが、ここは気の強く背が高い子が多かったので、ちょっと怖気付いた。

まだ、だいぶ行動に粗雑さが目立っていて、とにかく荒れ模様の日々の中で、私の記憶がしっかりと残り始める境目としても意味のある、些細ながらも重要な出来事があった。

入学式の時から、立派な体躯をしたその教師は目立っていた。図画工作の担当で、内面もがっしりとした人だった。怒ったことを見たことがない優しい人であったが、そのことに甘えたのか、ある授業で、新しい環境によって久しく出ていなかった私の悪さが顔を出した。授業の締めくくりの話を遮って、その教師にしつこく話しかけたのだ。最初は、いなしてくれていた彼も、いよいよ、これはまずいと思ったのであろう。私の額を小突いてのけぞらせながら、低い声で叱った。慕っていた教師に、真剣に怒られたことのショックから、私に潜んでいた悪さは、消えていった。私のために怒っただけでなく、授業が終わった後に静かに泣く私に優しくさえしてくれたことが、内側にあった“真面目さ”を呼び起こし、決定的な転換が起こった。

それからというもの、私は、とにかく“善い”とされることを徹底的に行う少年に改心した。朝礼の、クラスメイトへの連絡事項の時間には、少しでも懸念事項があれば臆さず伝え、友人達との下校の際に二列以上になろうものなら注意する、といった具合に。「あれだけの悪童が、こうも変わるか」と自分のことながら思う。某少年漫画で、崖から転落して記憶を失ったのちに戦闘民族の凶暴さを失った主人公のようだ。

あれだけ口うるさい存在がいたら、周りから煙たがられても全くおかしくないのだが、それどころか、周りのみんなが私を慕ってくれた。なんと幸せなことだろう。私は、自分自身のことは優れているなどと思えないが、周囲の人々に恵まれているということは、誇ることができる。

さて、そういった転換があった第二学年が終わった。そこから、改心のあとの私に大きな影響を与えた教師との出会いがあった。

その女性は、かの図画工作の教師よりも目立った存在だった。姿勢がよく、すらっとした佇まいで、ウェーブのかかった長い髪…。当時は、例の魔法使い物語が大いに流行っていたこともあってか、「魔女のような人だなぁ」と思ったものだ。

第三学年では、クラス替えがある。「また同じクラスだね!」と仲良しと合流して、教室に行き、黒板に書いてある指示に従って体育館に向かう。いざ列になると、知らない子がたくさんで、緊張する。やはり、「新しい友達ができるといいなぁ」という気持ちは、どうしても先行するから。

気持ちがおぼつかない中、式が始まる。間も無くして、担任の発表があった。教頭から先生の名前が呼ばれて、学年ごとに整列しているところの先頭にやってくる、という仕組み。私は、女の人の名が呼ばれ、「まさか…」と思った。そうすると、向こうから険しい顔の(ように見える)、魔女がやって来るではないか!私は、「これからどうなってしまうんだ…」と思った。落ち着かないまま式が終わると、先生は冷ややかな声で「3年2組は私の後ろに」と、真っ直ぐな姿勢で髪をなびかせながら私たちを誘導した。

それからであった。教室に皆が着席すると、どうだろう!険しい顔つきが一変して、にこやかな笑顔と陽気な喋り方で、楽しいエネルギーに溢れた自己紹介を始めたではないか。私の人生で、最初にして最大の“ドッキリ”と呼べるものは、おそらくこの瞬間だ。佇まいとのギャップが、その明るさを際立たせていた。ここから、学校生活の空模様は、暗雲に向かうどころか、晴れ晴れとしたものになった。学年が変わるごとに、「また、この先生であってくれ」と思うほど素晴らしい先生で、沢山の教員がいる学校だったが、評判がよほどだったのか、異例にも卒業までの四年もの間、彼女から教わることができた。

確かに、“お説教”のときは、とても怖かった。でも、そんなことが気にならないくらい、楽しく、大切な学びを与えてもらった。中でも、徹底した討議を中心とした授業からは、とりわけ豊かなものを得た。

 

*注20

ー“ヤコブのような召し”を受けた私であったが、未信徒時代の「性質」は彼の兄エサウのようであった。エサウは霊的(信仰的)に非常に重要な“長子の権利”を空腹という「肉体的な一時の理由で」放棄した。彼から連なるエドム人は、彼の遺伝子を継いだような苛烈な民族だ。このことは、異邦人の未信徒に当てはまることである。神から受けた恵みを、儚いことのために用いてはならない。かの教師に“悪鬼”を祓われた私は、“この世の神”(偶像の背後にいる悪霊)と出会うー

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