Age16

新天地

「新しい時代が始まる」

高校に進学するまでの時間は、わずかでしたが、心休まる時でした。驚いたのは、この期間にも学校側から課題が送られてきたことです。私立進学校の指導が早くも始まった気がして、気が締まりました。

この頃には、もはや病気の影はありませんでした。塾のストレスで病にかかり、塾のカリキュラムに追われて病を忘れる。何とも皮肉な話です。しかし、病が治って新生活に臨めるとは、素晴らしいことです。なんといっても、待ち望んだアメフトがプレーできます。

J高校は、中高一貫の私立で、二割くらいの生徒を外の中学から受け入れています。中学での私の立場が逆転したと考えるとイメージはしやすかったですが、やはり外部生というのは肩身が狭かったです。

高校から入学する生徒は、“高入生”と呼ばれ、A組かB組に分けられます。その二組を対象にしたオリエンテーションが入学式の前にありましたが、ほとんど誰も話さず、教室に集まった初日も、教室は静まり返っていました。「学校が始まった最初の方とか、誰も話さなかったよな」というのは、今でも友人の間で語り草です。

数日も経つと、すっかり打ち解けて、教室はエネルギーに満ちました。私を含め、男子校が初めての友人ばかりで、新鮮な“気兼ねなさ”を大いに謳歌していました。教員も時に厳しいところはあれ、基本的に寛容で、一緒になって冗談を言ったりして、楽しい空気で、毎日が明るかったです。

入学して数日経ったとき、部活動紹介の催しがありました。他の部活には目もくれず、ずっと待っていますが、一向に“お目当て”は出てきません。というのも、憧れのアメフト部は、トリを飾ったからでした。その余興だけでは、雰囲気が掴めませんでしたが、逆に「部室に挨拶しに乗り込もう」と意気込むほどに、居ても立っても居られぬ私でありました。

部室がどこかも分からず、数日経ったあとの放課後、ウロウロして教室に戻ろうと入り口に立つと、なにやら仲の良いグループが教室でたむろしているようでした。しかし、入ってみると私の目に飛び込んだのは、黒板に書かれた“アメフト部に入ろう”の文字と、高校生離れした立派な体躯の青年たち。これが、J高校アメフト部との遭遇でした。

この先輩たち、一個上の代は、J中学からそのまま進級する“中入生”の勧誘がうまくいかず、一人も新入部員を獲得できていなかったようです。そこに、アメフトがやりたくて仕方ない男がやってきたんですから、それはもう大歓迎されました。塾講師たちとの寂しい別れの後でしたが、「ここまで感動的な出会いが用意されているとは思わなかった」と感じるほど、このチームは最高の居場所でした。

私の代は、高入生の七人だけでしたが、このチームメイトも、未だに親交がある本当に素晴らしい仲間です。

私の高校生活は、部活動を中心に回り始めました。授業は、中学時代と違い下地に自信のある私でしたが、それでも難しかったです。とりわけ、数学の進むスピードが早い。しかし、どの教師も教え方が上手でしたし、終始アットホームな空気感と、予備校いらずで学校に集中できるという生活は快適でした。さらには、クラスメイトの個性豊かなこと!そして、授業が終わればアメフトです。高入生だけ補講のために七限まで、という日もありましたが、なんということはありません。

私は、とにかく強いプレーヤーになりたい一心でした。中学から陸上部での運動と我流のトレーニングで、特にパワーの点で自己満足していた私ですが、井の中の蛙でした。ウェイトトレーニングは、中学生には非推奨というのが基本でしたから、ジムに問い合わせても掛け合ってもらえず、高校でようやく取り組めるようになりました。中学時代に流行っていて、読むのが憩いの時間だった『仮面選手21番』の漫画でしか見られなかったウェイトを、ようやく扱えることになったあの日は、今でもよく覚えています。

私立高校ということもあって、非常に立派なジムがあります。アメフト部は、グラウンドの使用日数が少ない代わりにジムの使用頻度をあげてもらっているようで、先輩部員たちが立派な体躯をしていることに納得しました。

「外練は後日で、今日は筋トレだよ。嫌かもだけど、頑張ろうな」と先輩に言われると、「すごく楽しみにしていました」と思うままの返事をしました。トレーニングルームに入ると、すでに誰かがトレーニングしています。背丈は私と同じかやや低いくらいでしたが、筋肉の鎧で覆われた体は、「俺の二倍ある…?」と思ってしまうほど。「ああ、このジムの専属トレーナーかな。うわぁ、こんな人を雇ってるのか…」と勝手に勘繰っていましたが、あとで、アメフト部の三年生だと聞いて仰天しました。進学校ということがあり、三年生は春大会で引退なので、最後の大会を目前にしていたのです。それにしても、“想像以上の世界”を目の当たりにした気がしました。

さて、ずっと取り組みたかったベンチプレスですが、「100㎏いけるかな、どうだろう」と天狗になっていた私は、40㎏のバーベルさえ重くて驚きました。落胆よりも、「ここから猛トレーニングだ」という気概が勝り、その日から、同期の中では飛び抜けて頑張る“練習の虫”として認められるようになりました。

数週後、“防具”が届き、いよいよぶつかる練習が始まります。「ヘルメットをしているから痛くないだろう」とたかを括っていましたが、プロテクターがある分、強くあたることができてしまうため、衝撃が体に響きます。新鮮さがありつつ、臆病な性分を闘志でカバーしようとする自分がいました。

コンタクトスポーツだからこそなのか、互いに鍛え合うという競技性がチームの和に繋がっていると感じ、痛みに弱い私は、ズシリとした衝撃を受けると、最初の方はうろたえましたが、次第に「アメフトしてるんだ、俺」とヒットの感覚を嬉しく思うようになりました。

このようにして、アメリカンフットボールが持つ期待以上の魅力により、私の気持ちは日に日に昂っていきました。熱心に練習へ取り組む真面目な男は、トレーニングの休憩時間、部活終わりに見せる“ひょうきんさ”がギャップになり、部のマスコット的存在になっていました。「僕は、ゲームに登場するキャラクターにぞっこんなんです」。そういった笑い話を重ねて、“明るすぎる”くらいに過ごしていました。

そのような清々しく新しい日常で、アメフト以上に魅入ってしまう存在に、“日常世界”で出逢うとは、思いもよらないことでした。

 

*注5

ー「聖書に書かれたことは常識的に考えてあり得ない」と主張する人がいるだろう。しかし、私に言わせれば“常識”と呼ばれるもののほうが“非常識”である。「こんなことが」という劇的な体験をしてきた私は「常識(価値観)が悉くひっくり返る」のを知っている。人々の多くが「どのようにして?」という“原因”(事象)ばかりをみて、「どうして?」と“理由”(本質)を問わない。そうすると、「なんで?」という“不満”に思考が支配され「なぜ?」という“疑問”を行使することができなくなる。「問題に対しての答えを提示すること」しか習わないと、「なぜこの問題が必要なのか」を疑うことが難しくなるように。実際、ほとんどの人にとり「当たり前」のように思われていた“日常”が崩れた。「常識とは覆るもののことを言い、覆すものを真理と言う」。終末を極端に強調することは間違っている。しかし、聖書の歴史観-すなわち、覆る歴史観-を持たないと、物事を俯瞰することはできない。「右向け右」に縛られていた私が「上から降ってくる」ように起こるこのあとの出来事を、どうして予見できたろうー

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