Age18

狂気

「整っていく御国の建設計画」

自宅に着くと、すぐさま勉強部屋に向かい、待ち切れぬとばかりに図録を開きます。写真をみて、展示物を思い出しながら、あらためて細かい説明文を読みます。すべての物事を都合よく結びつける私が読めば、ギリシャ神話もたちまち、自分の物語に変容します。

これまでの記憶と、ヘラクレスの難行を結びつけてゆきます。たとえば、“誕生を妬み殺害を企てた女神から蛇を送られた赤子のヘラクレスは、それを絞殺した”という伝説を、“出生時に臍の緒が首に巻きついた自分だ”といった具合に重ねます。

さらには、中学時代にプレイした『危機の核心』や、このとき熱心に読んでいた『七星の拳』のストーリーはじめ、既存の物語も干渉していきます。

周りの情報が集約していくが如く、錯乱した思考の作用で、本来合うはずのないピースを無理やり押しはめて繋げるなかで、壮大な妄想が展開されてゆきました。

再びパソコンを起動する私。例の仮想空間には通話機能などないのに、ウェブカメラを起動しただけで、通話をしている気になっています。画面越しのアバターを知り合いだと錯誤し、自室で一人話しかける。狂気の沙汰です。

夜が近づき、部屋で科学誌のハヤブサ特集に書き込みをします。“X分に何々に成功”という過程の記録に、自分の行動を合わせていきます。

やがて、かのキャプテンから電話が。私の精神状態は、妄想によって機能しなくなった理性に次いで、かろうじて残っていた知性さえも侵食されつつあり、自我のみが存在しているような有り様でした。当然、話していることも意味不明です。

今まで、いさかいどころか、互いに僅かの苛立ちを覚えることさえなかった二人でしたが、私の一方的で理不尽極まりない失礼な振る舞いによって、いよいよ亀裂が入りました。極めて温厚な彼が、「朝からずっと、意味が分からねぇよ。今日も他の用事があったのに、お前が心配で全然楽しめなかった」と、さすがに怒りました。ここで立腹しなかったら、本当の友人ではないかもしれません。そう思うほどに、私の行いは、病気によるものとはいえ、友として看過されるべきものではありませんでした。

私は、「わかった。俺からは、もう電話しねぇから!じゃあな!さよならだ…」。声が震えます。私は、泣いていました。新調したばかりの携帯を、逆方向に真っ二つに折り、部屋の奥に投げつけます。

ハヤブサの行動記録をみて、「いよいよ時間だ…」と一人呟いた私は、“ヘラクレスの十二難行”でクライマックスにあたる「“黄金の三つの林檎”の獲得を何としても遂げる…!」と深夜の街に繰り出します。これが、“徘徊”の始まりでした。

「難行に向かう前に、かつて身につけていた“装飾品”を取り戻さねば」と思った私は、日中訪れた美術館に再び赴くべく、電車が通っているはずもなく、入れるわけもない真夜中の駅に向かいました。

「半神半人の超人的な能力を持っている」と思い込んでいますから、靴も履かずに夜の街路を走り抜けます。暗くて視界が狭まっているためだと判断する理性はなく、「力を取り戻して、こんなにも疾く走れる!」と得意げになります。階段も、高くから飛び降ります。

こういった行動の中で、無謀なことをしそうになると「ヘラクレスは、単なる力自慢ではないぞ」と、思いとどまりました。かろうじて、このような思考が働いたからよかったですが、そうでもなければ、私は放浪の道中で死んでいても全くおかしくありませんでした。

当然、駅にはシャッターが降りています。「そうか、ここで、“ビルに登れ”と“運命”が語っているのだな」と、向きを変えます。このように、妄想に突き動かされながらも、それが“現実”によって阻まれると、「運命の呼びかけだ」と都合よく受け入れて計画の変更を繰り返します。

駅に隣接するビルの、職員用階段を上がると、当然、途中で警備装置が鳴りますが、私は、“歓迎の音”だと捉えました。「もうすぐだ、もうすぐ辿り着く…」。

そうして屋上に出ると、機械が入っている扉があります。私はそれを、美術館へのワープホールと思ったか、異世界への入り口と捉えたか、こじ開けようとします。「ヘラクレスの力を以ってしてもダメなら、魔術がかかっているに違いない」と諦めます。

ビルの屋上からは、見渡したことのない地元の景観が見えました。「いるんだろ!どこにいるのさ?君たちに会いに来たんだよ!」と吠えます。何も返ってきません。ただ自分の声だけが、静かな街に吸い込まれていきます。

「夜明けには、本当の装飾品を身につける。会いに行くのは、それからだ!」と、当面の目標を定めると、ぶら下げた御守り、腕のブレスレットを外し、高く放り投げました。

「よし、一旦、引き返す!」。私は家へと疾走しました。

 

*注12

ー神からいただいたこの命は、実に三度にわたって危機に瀕した。しかし、際どいところで落ち延びてきた。それは神が「あなたはまだ死ぬ時ではない。生きよ」と励ましておられるようである。特に、この錯乱状態についてはいっそう「ご加護なしに無事で住むはずはない」と回顧する。この状態からよくここまで来れたものである。否、それは私の力ではなく神の御手によるものだ。それを伝えるために、私は知らずのうちに激励されていたのだから。真実の神に見守られながら、放浪は続くー

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