Age01-06

産声

「御国への旅、はじまる」

西暦が2000を刻む数年前、私は東京の下町に生を受けた。

私の名前は、踵 祈(かかと・いのり)。皆さんが名前をご存じない通り、何か大きなことを為した偉人とかではない。しかし、ちょっとばかり、そのままにしておくには勿体ない経験をした人間である。まだ道半ばであるが、いやはや、なかなかの冒険であった。

その日は、当時の皇太子が結婚した記念日であり、パレードが催されていて、「のり君が生まれたのをみんなが祝っているみたいだったよ」と、幼い私に両親が嬉しそうに語ってくれたものだ。

母の胎から取り上げられてまもなく、臍の緒が首に巻きついて窒息しそうになったようだが、なんとか無事、医師に解かれて産声をあげた。

さて、まるで国民に祝われたかのように始まったこの半生、スタートとは裏腹に荒れた海を旅するようであった。“苦難にあっては、それが去って喜びが来る”ことの繰り返しだ。すごく楽しいことがあったかと思えば、とんでもない災難に遭って、それを乗り越えたら、更なる感動があって…。この流れというのは、人生の本質のように思われる。若輩者の私が言うのは、なんだかおこがましいが、しかし、なかなか稀有な経験に基づいてたどり着いたことである。

そして、「そのような人生は、一体、何を“動力”としているのか」ということの“答え”-それは真理である-を経験の懐古によって描くのが本著の挑戦である。情報保護の観点から、僅かな脚色はあるが、二転三転してなかなか面白いのではと思う。

さて、三歳になった頃あたりから、少しずつ記憶が刻まれていく。

まず、私の一番古い、つまり最初の記憶ということになるが、それは、オムツに血便が出たことであった。かなりショッキングだが、そのゆえに深く刻まれているのだろう。おそらく、あからさまに血が混じっていたはずではないのだが、私の記憶には、信号機の三色が出たことが残っている。そんなこと、あるはずないのだが、なんだか不思議だ。

ほどなくして、大学病院に入ることになった。私は、生来、非常に臆病な性格で、さらにあの齢であったから、どれだけぐずったかは想像に難くない。父に抱き抱えられて、病院に向かった。

大腸にポリープがあるということで、手術することになった。かなり怯えたと思うのだが、あまり覚えていない。

期間としては、そんなに入院はしなかったようだが、記憶が曖昧で、長かったような、短かったような。覚えているのは、夜に、スピーカーから『エリーゼのために』が流れたこと。あの年齢で、一人で寝て、生粋の甘えん坊にはだいぶ酷なことであった。

忘れてはいけないのは、同じ病室にいた、私とそう離れない少年のことである。重篤な病にかかっていて、管に繋がれ、寝たきり。会話は出来たので、仲良くしてもらった。彼がいなかったら、本当に寂しくて、ずっと泣いていたと思う。彼は今、どうしているだろうか。確かなことは、もし、彼に出会っていなかったら、私は今も「こんなに辛い人生なんて」と、泣いていたということ。しかし、私は生きているではないか。生きたくても生きられず、幼いながらに苦しんでいる人がいる。その事実が刻まれていたから、私はこの後の出来事に耐えられたのかもしれない。そう思うと、この出会いにも、私は意味を感ぜずにはいられない。

ほどなくして退院した私は、すっかり元気になった。幼稚園に入ってからのことは断片的に覚えているが、とにかくエネルギーに溢れていた自分が印象に残っている。

根は真面目だというところは変わらなかったかもしれないが、振る舞いはというと、手のつけられない“悪童”であった。とにかく、はしゃぎ回らないと気が済まなかったようだ。先生たちには苦労をかけた。非常に泣き虫であるから、怒られては泣いて、懲りずにまた悪さして…という繰り返しの日常。

送迎バスで帰れば、家の外を駆け回っていた。この時分から既に、少しずつ、“おかしな思考”が頭をよぎっていた。何か、不穏な考えが浮かんで、ざわざわしたのだ。この時には、幼さが良い方向にはたらいて、深刻に捉えなかったことが幸いした。

 

*注19

ー伝道を本格的に始めてから、まだそれほど時間は経っていない。しかし、信徒というだけでなく“伝道者”としての意識を持ったとき(広義には信徒は皆、伝道者である)、非常な険しさに直面している。しかし、福音を伝えることに挫け、福音によってもたらされた祝福が苦しみになったとしたら、それは矛盾になるまいか。だから私は「自分の幸せために、自分の幸せを表現するように」はたらきを続けていきたい所存である。これだけの出来事を体験させていただきながら、この国に生を受けたことに何の意味も感じないとしたら…それは「愚か」というもの。異教文化に触れていたから私の人生は揺さぶれ、異教国に生きていたから私の運命は着地をみた。日本という国は、“約束の地カナン”にはほど遠い。しかしである。日本人は、“蛮族の先住民”たるカナン人とはまるで違う。きわめて“聖書道徳的”な日本人に、私は“イスラエルに接ぎ木されるべき異邦人”の姿をみるのである。さて、「誰よりも未信徒をした信徒」である私は、どのような幼少期を過ごしたのかー

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