「引き金はバテ・シェバ」
その日、いつもの大きな連絡駅で高校の最寄へ向かう電車に乗り換えて、空いている席に座っていた時でした。
下を向いて参考書を読んでいた私は、後列の車両からコツコツと歩く音を聞いて、なんとなはなしにそちらに目をやりました。その時、目に映ったのは、見たこともないほど美しい少女でした。背丈はやや小柄ですが、ゆっくりと上品な足取りで歩むその姿は、黄金比を思わせました。おそらくは、J高校と同じ駅の、反対側にあるD女子高校の生徒でありましょう。私が唖然とする中、斜め向かいのシートに座りました。
もはや文字など入ってきませんので、参考書を読んでいる風を装いながらチラチラと眺めていました。短めの髪で、当時にしては珍しく、ワックスで整えたボーイッシュな子でした。それまでも、可愛げな容姿の女の子は見てきました。しかし、彼女は異質でした。“美そのもの”、少なくとも私にとっての理想そのものでした。それから電車に揺られる二十分近い時間は、いつもですと嫌気がさしますが、この日は、「もっと長くあってくれ」と思う暇もないほど短く感じると同時に、何か永遠に触れている気さえする、何とも不思議な刻でした。
その日以来、私は、彼女に心奪われました。「もう会えないだろうか」と思っていると、毎日同じ時間、同じ車両に来るではありませんか。「うぶだから」ということもあるでしょうが、それ以上に、違う世界にいるような彼女のことをただ眺めることしかできない私は、「俺もかっこよくありたい」と色気づきました。
反抗期さえも押さえつけられるような抑圧された中学時代の反動も相まって、私の自己顕示欲が膨れ上がりました。アメフトをプレーしている時も、気持ちの高揚を感じていた私ですが、そこに、「強いプレーヤーはかっこいい」という雑念が入り込み、“麗しい少女に片想いするアメフト選手”という自己陶酔の形にはまってしまった私は、知らずのうちに少しずつ、おかしくなっていきました。
夏になると、アメフト部の合宿です。「ウチの合宿は修学旅行より楽しい」と、どの先輩も満面の笑みで語るのですが、これはよくある“勧誘のための謳い文句”ではありませんでした。「こんなに楽しい時間は、未だかつてなかった!」と、終始、大はしゃぎの私。決して練習が緩いということはなく、激しいヒットを繰り返す、とてもハードなものでしたが、オンオフの切り替えがしっかりしていて、何より、仲が良すぎるチームですから、自由時間の楽しいこと。そのことが練習にも作用して、団結力がいっそう増すという素晴らしいサイクルができていたのです。
さらに、この夏には、はじめての練習試合がありました。相手は、埼玉県のG高校。実力は同じくらいです。私は、試合の真ん中から投入されました。ポジションは、ラインバッカーといって、守備陣形の中心に位置する要です。そこを任せてもらえたのは嬉しく、猛々しい気迫を以ってフィールドに入りました。そこには、かなりの緊張がありました。幼い頃から近所を駆け回っていた私は、運動のセンスには自信があり、スポーツには慣れていましたが、コンタクトする競技の緊張感は独特でした。しかし、心臓の鼓動さえも心地よく、フィールドでプレーできるのが楽しくて仕方ありませんでした。やがて、相手が中央へ走り込むプレーをしてきました。私は即座に反応して前方へ駆け、タックルで止めました。このときのチームメイトの歓声、内から湧き上がる歓びは、忘れようもありません。そして試合は、フィジカルに分があったJ高校の勝利に終わりました。
それから数日後、一ヶ月後の秋大会に向けた説明が顧問からありました。引退試合は春ですから、この大会は今後の試金石となるものです。やがて、一回戦の相手が決まりました。都立F高校。同じくらいの実力が予想される相手。高校のOBである穏やかな監督から期待の激励がかかると、チームの士気は格段に上がりました。
それから大会までの日々、通学の電車に乗っては、かの少女の美しさに魅せられ、練習では着実に強くなる自分に酔いしれました。楽しさは、もはや頂点に達していました。
そして、大会前日がやって来ました。
あの、悪夢の日が。
*注6
ー私は生来の“浮気者”である。肉体的には貞潔を保っているけれども、霊的(信仰的)には「神に反すること」を何度も-とりわけポルノにおいて-してきた。そして、私が持つ“執念”は我ながら恐ろしい。「自分の願いは必ず実現させる」という熱情は、僅かに舵取りを誤れば、たちまち“貪り”(支配欲の罪)となる。他のものが見えなくなるほどの“衝動”的な本能は「常識」を壊すことができた。しかし、他のものを見ることを欠いた“理性”的な信仰を持ってこそ「真理」に至ることができる。前者だけをしていたら、私は人としての道を確実に踏み外していただろう。本能に根ざすところに真の愛はない。「聖書を燃やしたら、それは“私”ではない」と言いながら、「御教えに反することは、聖書を燃やす以上の悪である」ことを未だに自覚できない。そのように“目先の欲”に囚われるようだから、私は“足元を掬われる”ことになるのだー