自由主義。信仰の入り口となるべきもの。「信仰の自由」は「信仰を軽視する自由」ではない。神の御教えの本意を汲まない「自由主義神学」にも物申す必要があろう。滅びゆこうとする人々に意見するのは排他的だろうか。選び取るのが自由だからこそ、“聖書”という「救いにおいて唯一無二の選択肢」を誤解させてしまう要素は何としても排さなければならない。千鳥足でホームを歩く人がいる。傍観(不信者)は“残酷”であるし、酔った人(自由主義神学)は“共倒れ”、中途半端な引っ張り方(現代的な牧会)では“助けられない”。
例(要約/参照聖句);悪の言い訳でなく、信仰の理由として自由を用いよ/Iペテ2:16,創3:11-13|悪人は聞こえのよい教えに走る/IIテモ4:3-4,ルカ16:15,箴29:27|勝手な解釈を施してはならない/IIペテ1:20-21