自分の大切にするものが軽々しく扱われること。相手が大事にしているものと、その深さは当人しか知り得ない。しかし、伝道においてはときに決然とした態度で向き合わねばならないのもまた事実である。なぜなら、神の真理を悟った者にとっては、聖書への信仰以外は偶像崇拝であり侮辱だからである。信仰の真理である福音は一つであるから、討議をすれば異教徒の誤りは白日の元に晒されることとなろう。本当の侮辱は、隣人を愛していながら共に救われる未来を軽んじることではないか。対話によって聖書の完全を示すは、愛である。
例(要約/参照聖句);侮辱には祝福で返し、悪に悪を以って報いないこと/Iペテ3:9,ルカ6:27-29|侮る者はゆるしがたいが、復讐は神ご自身がなさる/ヘブ10:29-30,民14:11-12|ヨナタンの愛が哀しみに表れる描写と復讐に駆られたアブサロムが怒りによって転落するエピソード/Iサム20:34,IIサム13:20-22