主のことを誤解させる敵と戦うために召された信徒たち。神の真理である聖書を「数ある宗教の一つに過ぎない」とする通念と我々は戦わねばならない。なぜなら「聖書だけが宗教だから」である。御目に適っていれば、兵役の費用は与えていただける。“御言葉を読まざる否定者”は働きから糧を得ることを誤解するかもしれない。確かに世に迎合するソフィストのようではいけない。世の中と命懸けで戦う者こそ伝道者である。考える暇なく戦地に赴くなら、自ずと報酬はいただける。その一番は、理解ある回心者-新たな味方の兵士-である。
例(要約/参照聖句);誤解されがちだが,伝道は兵役であるから、本来的には自分の費用で服す必要はない/Iコリ9:7-14,Ⅲヨハ1:5-8|日常に煩わず、ただ兵士として主を喜ばせることを考えよ/IIテモ2:3-4,IIサム11:11,マタ6:24-34|真の剣である信仰を腰に帯びよ/詩45:2-5,Iサム17:45