福音の三要素を信じることによって[聖霊]が与えられること。旧約においても[信仰]によって霊が降るという記述がみられる。第三位格の神である[聖霊]であるが「神が自分の内に住まう」という感覚は回心の実体験なしにはまず理解不可能である。しかし逆に、信徒にとっては聖霊が住まわっている感覚こそ聖書の真理性の確証なのである。あえてわかりやすく喩えるなら「信仰的な“良心の咎め”」が、[御霊の律法]として信徒が体感する内側からの導きに近いかもしれない。
例(要約/参照聖句);イエスを主と告白できることが内住の印である/Iコリ12:3|サウル王に下った主の霊/Iサム10:6|キリストによって与えられる生ける御霊の律法/ロマ8:2