あらゆることに対し“「イエスは主である」と告白させる[聖霊]”によって処せること。洗礼の有無によらず、自分自身が信徒である(救われている)かは「“ナザレのイエス”が神である」ことを認められるかどうかで判る。そうしたらば、万事に対して、内住の聖霊によって判断することができるようになっている。聖霊による信仰的な良心と、信仰の三元徳–すなわち,神を讃える“信仰”に基づいて,神以外をおそれず勝利の“希望”を常に持ち,神の赦しの“愛”に倣って隣人に接する.この三項–があれば、すべてに応えることができるのだ。
例(要約/参照聖句);神とその御言葉はすべてを見分ける/ヘブ4:12|イエスを主と告白できれば、御霊による信徒である/Iコリ12:3-6|御霊によって判る内住の神による導き/Iヨハ4:13,ガラ5:14-18