取るに足らないもの。世の人々は、そのような[塵]だったにも関わらず神から“価値ある者”とされたことを拒む。信徒たちは「耳触りのよい教えが人々の何を変えられよう」という悟りゆえに人々から疎まれる。“耳障り”な教えは嫌われるのである。しかし、いったいどこに、意味もなく自ら進んで嫌われようとする者がいよう。提示された選択肢を受け入れるかどうかは人々に任せ、深追いしないのがよい。しかし「自分が選択肢の提示者に相応しく生きているか」は常に省察せねばならない。
例(要約/参照聖句);神によって人間はちりから創られた/創2:7|足のちりを落とし別れながら、命を懸けるパウロ/使13:45-52,IIコリ11:23-31|隣人の目のちりより、己が目の梁を/ルカ6:42