なんらかの理由で外見に限らず[姿]を変えること。多くの場合、策謀のためである。とりわけ“終わりの時”である現代においては情報的な[権威]を持つ者が破戒的な悦楽を通俗化する。これもまた[変装]の一形態であり[世]の力である。恐ろしいことにその背後に潜む[悪霊]の力(神に敵対する獣が、人間を装っている)のを見抜くのは非常に困難だ。[聖書]への関心を挫くような発言者が[変装]“している”か“させられている”のかを見極めるより、その動機が[貪り]に基づくか否かを見定めるのが得策である。
例(要約/参照聖句);終わり近き日に信心を装う背信者たち/IIテモ3:1-7|御教えを破壊せんと紛れ込む偽教師/ユダ1:3-4|サタンの如く姿を隠して悪影響を与える者/IIコリ11:12-15