愛をその原理とする道徳律。[律法]は“神による法律”であるから、最初に立てられねばならなかった。しかし、そのことは必然的に「律法を守ることで人間は救われる」という誤解を招いた。神は「信仰が先ずあって、その表明として律法を守ろうとする“心”」をあくまでもよしとされる。なぜなら「自力での踏襲が不可能である」ことを“祈りのきっかけ”にするのが神の意図だからである。新約時代の信徒はキリストを通して「“神の導き”で善悪を見分ける」[御霊の律法]を授かる。
例(要約/参照聖句);キリストは律法を成就するために来られた/マタ5:17-20|律法は愛による全うされる/ロマ13:8-10|救いは“信仰と恵みによる御霊”が完成なさる/ガラ3:2-5