信仰によって救われた結果として備わるもの。「善行を積んで救われよう」という動機は、典型的な“わざ(行い)による救い”を求める偽善である。真の人徳というのは“自身よりも隣人を優先しようとする愛”であるから「徳を積もう」という命題は論理的に成立しない。自己否定が推奨されるというより、自己肯定の道が“相手を大切にすること”に自ずとなっていくのが祝された信仰生活の実であると言えよう。
例(要約/参照聖句);天に富を積むようにせよ/マコ10:21|救いはわざでなく信仰による/ロマ3:28|信仰は行動に先立つ/ヤコ2:18