怒りを忍んでおられる神に倣いながら、与えられる機を待つこと。怒りは基本的に衝動的なものであるが、結果的にもたらされる不和は後を引く。信徒は、神に待ち望まれて回心に至ったことを受け止めねばならない。そのような立場にありながら一時の憤りで隣人を裁くのは、自らを神の位置に据えるような暴挙である。機を待つことは、祈りへの応答を待つ“信仰の精錬”である。焦ってしまう己が未熟さを認め、神に縋ることが重要だ。
例(要約/参照聖句);復讐は神のすることである/ロマ12:17-21|忍耐は英知につながる/箴14:29|あと僅か待てなかったサウル/Iサム13:8-14