理性的な信仰が鈍ることで、聖書的な判断が難しくなること。聖書に基づいて生きる“意思”そのものの揺らぎを許すと、行いが信仰から離れてしまう。それが一時的であっても、やむを得ぬことであっても、聖書の権威を失墜させるようなことがあってはならない。信徒はみな、広義の伝道者であり、その方法は聖書に基づく生き方そのものである。御言葉に損なわれぬ権威があることを、いかなる時もサタンに屈せぬ信仰で証する必要がある。聖書に欠けがないからこそ、信徒に僅かでも妥協や言い訳の余地があってはならないのである。
例(要約/参照聖句);不道徳な者に惑わされてはならない/IIペテ3:17|惑いに気をつけ、兄弟の過ちをただす者であれ/ガラ6:1|口先ではなく、信仰は行いによって示す/Iヨハ3:18,ヤコ2:18