56|Titus 60|1 Peter

未信徒(みしんと)

これから祝福されるべき人々。罪の意識がある人ほど厳かな神の目を避けようと遠ざかりがちである。しかし、聖書によって明らかになるのは憐れみの神から自身の罪が赦される道だ。「自分の[]が明るみに出るのがこわい」のは創られた人間のもつ潜在的な[]への畏れである。よって、創造神の存在をはっきりと信じることは、そのまま自らの罪の告白となる。[回心]によってもたらされるのは、むしろ罪責感からの解放なのである。

 

(要約/参照聖句);かつては違ったが信じた今は神の民である/Iペテ2:10 |憎み合っていた者が神の慈しみを受けて新生する/テト3:3-5|かつての背信はキリストによって清められる/エゼ37:22-24

-56|Titus, 60|1 Peter
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