バプテスマ。信徒となったことを祝して積極的に受けるべき記念式。「決して救いの条件ではない」(もしそうなら使徒パウロの働きが損なわれてしまう)。救いはあくまでも“信仰”による。ただ、信徒としての自覚を持つ意味で受けるに越したことはない(編者は地域教会に依らない聖書信仰を伝道する意図から、敢えて洗礼を受けていない)。真に重要な“聖霊によるバプテスマ”の理解は典礼として洗礼を体験したほうが遥かに近道であるゆえ、特殊な事情がない限り受けることを勧める(なにより、主イエスは「必要がない」と憚る洗礼者を諭し自ら率先してお受けになった)。
例(要約/参照聖句);心の割礼である御霊のバプテスマ/ロマ2:29|洗礼は肉の汚れを除くものでなく誓約である/Iペテ3:21|救いは儀礼でなく信仰による/ガラ5:3-6