45|Romans 60|1 Peter

無律法(むりっぽう)

キリストの十字架という神の恵みを,放縦な行いを容認する口実に利用する愚挙。恐ろしいことに、信徒を導く立場にあるはずの牧師と呼ばれている人間の一部までもが,[無律法主義]を肯定している。その理屈によると「旧約時代と現代は社会的背景が異なるから律法は適用できない」らしい。しかし、その言い分は「聖書の教えは現代に於いては意味を為さない」という主張に等しい。使徒パウロが,信徒は「もはや律法のもとにはいない」と語ったところの主旨は「[御霊の律法]によって旧約律法の全うが約束された」という”恵みの強調”にある。

 

(要約/参照聖句);愚者を封じるためにも御霊にある自由を言い訳にしてはならない/Iペテ2:15-16|信仰と恵みによる全うという意図に基づき,律法は罪の提示として定められた/ロマ7:4-23|生ける御霊の律法は旧約律法に依らない行いの判断を可能にした/ロマ8:2-11

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