信仰のゆえに与えられる試練。最終的に神によって癒されるもの。信仰に至るために,信仰が練られるために,信仰が完成するゆえに.人は病を患うことがある。神の裁きと病に直接的な相関関係はないが、信徒は体調の変化に意味を見出す。病の存在は実に不可解で、ときに不条理にもみえる。しかし、近視眼的な人間の視点では解らないことがある。編者は重症を大きなきっかけとして回心したが、それは実に十年経ってからのこと。その経験から、神を疎むのでなく畏れるようになった。高ぶりを退けて神に服するとき、希望の光がみえる。
例(要約/参照聖句);真理に向かって吠える、病のごとき無分別な高慢さ/Iテモ6:3-6|使徒パウロは高慢を避けるために病を与えられた/IIコリ12:7|神の国たる癒しへの招き/マタ11:28,ヤコ5:15