神を讃えるにあたって、被造世界の美しさを受け取るべく人間に与えられた器官。エデンの園で、既に開けていた[目]を“疑ったこと”こそ、人類が[世]に堕落するきっかけであった。結果的に生じた[目の欲]は知覚に頼ることで神への信頼を忘れさせる罪。[目]は“知覚の誤用”という“物質優位の考え”である[貪り]を代表する。霊的な[目]すなわち神の[御目]にかなうことを求む“愛の信仰”は誰もが隔てなく開ける。ひとたび鱗が落ちたらば、眼前にはエデンの光景が広がり、[生命の樹]が[聖書]であったことに気づくのである。
例(要約/参照聖句);真のイスラエルは神の御目に重んじられる/イザ49:5-6|開かせたくば自分の目から高ぶりの丸太をまず除く/ルカ6:39-42|信仰は永遠の御心にあり目の欲は過ぎ去る世/Iヨハ2:15-17