神の愛を受けた者として生きる理由。成熟した信徒になるほど“神への愛”と“隣人への愛”が強くなる。すると「自分の祝福のため」に生きることを熱心ゆえに忘れてしまう。しかし、未信徒と生きることを共にするのが地上生涯である以上は使命感を持ちすぎると裏目に出る。祝された信仰生活を送ることが最大の伝道であるのに、伝道の勇足が信徒としての歩みを苦しくするジレンマである。信徒の場合は「自分を愛す」ことが隣人愛に繋がる事実が手引きとなろう。
例(要約/参照聖句);信徒はキリストによって神と一体になっている/ロマ7:4|御国を受け継ぐことが神の計画の目的である/エペ1:11|隣人への愛は救いのゆえである/箴14:21