信仰のゆえに生ずる浮き沈み。霊的に-つまり信仰的に‐強いときほど、自分の過ちに気づく。素晴らしい神の恵みを感じる時には、己が罪にも霊的な感性が鋭くなっている。よって、栄えているときにこそ躓きの痛みは強い。しかし、獣のように本能に生きて道徳的な痛覚がないより、己が罪に対して自覚が生じることのほうが遥かに素晴らしい。もちろん、罪に対して未然に思いとどまれることはなお良く、最善である。神の国への登頂は、景色を愉しみつつも、足元に注意する。時に足を挫いたらば、注意を新たに登る。
例(要約/参照聖句);油断は躓きに繋がる/箴16:18|聖霊を悲しませてはならない/エペ4:30,イザ63:10|先立つ苦難は喜びに変わり得る/ルカ15:31-32