信徒として「神を讃えることができる確信」に基づいて行動すること。救いを得る方法ではなく、救われた結果として信徒がその感謝を表す信仰の道。すなわち、神の御目が自分に注がれていることを意識したうえで為される“イエスを理想とする”生活である。その観点から「隠れてしよう」と思うことは基本的に[罪]である可能性が高いと考えてよいだろう。隣人から見ても「非の打ち所がない」ような信徒の生き方は、最も力強い伝道となる。
例(要約/参照聖句);確信に基づかないことはすべて罪である/ロマ14:23|何をなすにも主に対してするように行いなさい/コロ3:23|すべてのことは神の栄光を現すために/Iコリ10:31