神に象って創られた人間としての自認。「人間が神に似せて創られた」のは、その自認によって常に“至らなさ”を覚えて自己省察するためである。間違った誇りは人間的な高ぶりを引き起こすが、その誇りさえも失った者は意思を放棄した[獣]に等しい。真の[誇り]とは他者を尊ぶために私欲を捨てることであり、貪りのうちに死する[獣]には理解不可能なことであろう。自らの弱さを悔い改めるとき人格としての[からだ]は神へと接近する。
例(要約/参照聖句);聖徒であることへの誇り/ロマ5:1-11|神の御名を誇りとせよ/I歴16:8-12|偶像の神々への誇りは砕かれる/詩97:7