相手が持っているものを奪おうとすること。「何かを自分の所有物にしたい」ことに発するこの欲求は、ひいては“相手を支配しようとする”ことに繋がるため[罪]の本質と言える。では、なぜ相手を支配しようとすることがいけないのか。聖書が重視するのは[意思]であり「自由な意思決定ができる」ところに神は“人間の尊厳”を見出す。支配欲というのは意思に由来しながら“支配欲は意思を蝕む”。人としての滅びを避けるために戒めがあるのだ。
例(要約/参照聖句);律法を橋頭堡とする罪は、あらゆる種類の貪り/ロマ7:7-8|貪欲は偶像礼拝である/コロ3:5|この世は腹に象徴される我欲を神とする/ピリ3:19