神が人間に対して抱かないこと。聖書は神の御言葉であるから、希望について書かれたことは、そのまま神からの激励である。たとえ同胞が頑なな異教の民であっても、神が手を延べておられる事実がある以上、その伝道を勝手に諦めてはならない。そもそも小さな信徒に独力で何ができよう。すべては神の恵みではなかったか。では、恵みはどこから来るか。信仰からである。ゆえに「“諦めざる神”を信じること」だけは諦めてはならない。自身の能力をよくわかっていない者が諦めだけよかったら、それほど悔しいことはないだろう。
例(要約/参照聖句);神が諦めておられないのに、信徒が失望してはならない/ガラ6:7-9|未信徒からの迫害ゆえに、むしろ奮起した使徒パウロ/IIコリ11:23-31,エペ3:7-9|ご自分の民を見捨てない神/エズ9:9