悪を為す自分の弱さを世に帰すること。それは「[この世の神]に降伏する」のと同義だ。滅びゆく世に歩調を合わせ、不潔な行いにふけるは恥ずべきことである。世にあてられて獣に堕するくらいなら「怠け者」と蔑まれても貧しく誠実に生きたほうが遥かによい。手の施しようがなくなる前に-なるべく歳若いうちに-神を覚えるべきである。しかし、不信者を排撃する言葉には力が要る。訴える口実が見つからない-キリストの公生涯のような-生き方に近づいてゆこう。まして十字架の解放を誤用して[無律法主義]を肯定することなどあり得ない。
例(要約/参照聖句);貪りに口実を設けてはならない/Iテサ2:1-5,申22:13-19|御霊の律法に生きる自由を言い訳にせず、行いを以って不信者を封じる/Iペテ2:15-16,Iテモ5:8|ダニエルは訴える口実が見つからない主イエスの型/ダニ6:1-8,ルカ6:7-10