信仰者として生き続けることを貫く心。聖書に基づけば、信徒が救いを失うことはあり得ない。それは、福音が“真に受け入れた者を失格させないように走り続けさせる神の力”だからである。迫害は、サタンの策謀にとって脅威となり得る者に起こる。それは、世間からの中傷かもしれないし、身近な人間からの拒絶かもしれない。御言葉に生きることを阻むなら、それらはみな迫害である。我々は、悪魔の手におちる-すなわち、迫害に耐えかねて聖書に生きることを自ら否定する-ことを断固として拒絶し、御言葉の力を実証せねばならない。
例(要約/参照聖句);同胞のためなら自分は救いから外れても構わないと宣言する愛の使徒パウロ/ロマ9:1-3,Iコリ9:23-27|回心者の模範であるパウロと指針であるペテロ/使21:12-14,ルカ22:33-34|神への堅き信仰に縋ることが、悪魔に対する洗礼された身構えかたである/Iペテ5:8-9,ヤコ4:4-7