手放すことを本質とする[愛]と反対である性質上、[貪り]の罪に接近する心の動き。一般論を適用すると「信仰を手放さないこと」さえ“聖書への執着”とも呼べてしまう危うさがある。したがって、そのことを考え合わせて「[執着]とは“信仰を遠ざける頑なさ”である」と再定義する必要があるだろう。“執着を棄てること”に執着していれば、欲しいものは“知らずのうちに”神からいただくことができる。
例(要約/参照聖句);神が共におられるゆえ何も追う必要はない/ヘブ13:5-7|キリストは神のご身分にさえ固執なさらなかった/ピリ2:6-8|自分の道に固着するイスラエルの歩み/エレ8:4-6