反キリスト
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反キリスト

この背教時代の只中にあって「再臨主」を騙る反キリストが現れはじめている。黙示録で語られるところだと特定の人物を指すので、ここでは“サタンにつく者”という意味での多数の[獣]について扱う。

平然とした顔で「キリスト教」を騙る異端やカルトの一貫した特徴は、教祖が「再臨のメシア」を名乗っていることである。正統ではない教えの判別方法として「父なる神は神ですか.イエス・キリストは神ですか.聖霊は神ですか.」という質問法がある。しかし、現代のカルトは先の通り「教祖を再臨主とみなす」ので、この問いかけのみでは対応しきれなくなってきた。そこで今回は、“反キリスト的な偽物を判別する方法”を追うことで再臨主のイメージまでつかむことを目指したい。

さて、結論を述べてしまおう。反キリスト的な獣(キリスト教を騙った新興宗教の教祖)が絶対にしないことは「福音の三要素を教える」ことである。この特徴は,反キリストはサタンにつく勢力であるから、人々を救いに導く[福音の三要素]を教えることは絶対にありえない.という理論に基づく。付言すると、それは“教祖自身が再臨主を騙っていたとしても”ありえない。なぜなら、三要素における「三日目に甦られた」(③)というキリスト論は、十字架による贖罪死(①,②)のための[受肉]を前提とするものだからである。つまり、初臨のイエスが人性を伴って来られたのは「ただ一度きりの贖い」のためであるから「再臨時に人性を持っている必要はない」のであって、福音はそれ自体が「再臨主が第二位格の神として(神性のみを伴って)来られる」ことを証するものなのである(旧約ではイエスが[主の使い]としての姿をとられたことにも注目)。よって、主イエスが再び来られるときには、信仰的な事象ではなく、超自然的な現象を伴って、目撃対象として臨まれるのである。かくて、カルト教祖が福音を告白することは不可能であるから、我々は〈福音の内容を問うことで正統信仰かを確実に見分ける〉ことができる。

最後に、強力な霊性(信仰的な素養)のゆえに無自覚的に再臨主だと錯覚してしまうことがないよう、良薬となる聖書箇所を提示して締めくくろう。『テサロニケ人への手紙 第二』および『ペテロの手紙 第二』の二通は、書簡において特にキリストの再臨が「人間的なものではない」ことを簡潔な論理で明かしている(どちらも“第二”の手紙であることがその位格の[神]として主イエスが再臨なさることを暗示しているかのようだ)。落ち着いて、現状の自己認識が、この聖句をどう受け取ろうと動いているか見極めよう。そうすることで、信徒としてのはたらきを阻もうとするサタンの干渉を退けることができる。

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