サタン
悪魔。神の敵対者である。その存在について聖書における言及は詳細でないが、可能な限りの言明を行いたい。非常に価値ある考察だと思うので、ぜひ共有いただきたい。
まず「サタンは天使長であり堕落して神に挑む存在になった」というのが伝統的な基本理解である。以来、彼はたびたび登場しては信徒を誘惑し、神の計画に介入する。その最初はエデンの園でエバを唆したことであった。だが、サタンの行動は神の統治下でしか起こらない(『ヨブ記』参照)。つまり、悪魔のはたらきは摂理を出ることがない。そのような彼が最大の“貢献”(大胆な表現である)をしたのが、エデン事件であった。
アダムとエバが神から「食べてはならない」と言われた善悪の樹から取り[自由意志]を獲得したとき、そこに介在し“用いられた”者こそサタンである。なぜか。もし、神が「食べてはならないが、食べたくばしてもよい」とふたりに命じていたとしよう。アダムとエバが後者に従っていたとすれば、それは“神の命令の範囲内”であるから[自由意志]の付与にはならない。人間が「自由に」意思を行使するためには「食べてはならない」という神の一方的な命令にのみ反する必要があった。だから、そこには第三者の介入が必至だった。その際に用いられたのが古い蛇(サタン)だったわけである。その意味において、やはりサタンは常に神のもとで仕える他ないのである。
では、サタンはどのようにして天使長から堕落したのか。もし、サタンに[自由意志]が与えられていたとすれば、先の論理を考えたときに無限後退が起こる(サタンを唆すサタンが必要)。さらに、もう一つの神学的ポイントである「神が悪(魔)を創ったのか」という命題もここにあらわれよう。聖書に書かれていないことを、聖書が成立するように説明するならば、神は、かの天使長に「わたしに仕えてもいいし、わたしに仕えなくてもよい」と“命じた”のだと考えられる。前者は善の定義であり、後者は悪の定義である。私の考察によればサタンはこのとき「神に仕えない(挑戦する)」という選択肢に“従った”。人間の場合とは違い、これは[自由意志]ではない。なぜなら、神の命令にあくまでも“従って”いるからである。
よって、悪魔は「わたしに仕えなくてよい」と神が定義した悪に「選択的に従った」のである。だから、神は善と悪を定義した(創っていない)のであり、天使長がその命令の後者を従属的に選択したのである([自由意志]に対して[従属意志]とでもいえようか)。だからして、かつての天使長は、神の命令に従って、全能者が定義した悪を選び、サタンになった。この意味でサタンは初めから悪であった(Ⅰヨハ3:8)。哀れな存在ではあるが、もちろん、サタンに同情する理由にはなり得ない。事実、私はこれまでも度々、「ここぞ」という発見を前に危険な衝動にさらされてきた。今回の発見に際しても、誘惑をかろうじて退けて、サタンの正体に気づいたのである。この論考で「サタンは従属意志によって神が定義した悪を行使する者となった」ことが明らかになった。今までは敵の姿がみえなかったが、いまは確かに捉えることができる。気を緩めず、敵に備える力をいただいたこと、ただただ全知全能なる神に感謝したい。
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